Chapter 18
システム設計 — 要求仕様からチャープパラメータへ
この章のゴール.
「最大 30 m・分解能 5 cm・±20 m/s・視野 ±60°」という製品の言葉を、 \(B, T_c, N, S, f_{IF}\) というチャープの言葉に翻訳する手順を、一度通しで実行すること。 これができれば、このシリーズの数式は全部「使う道具」になったと言える。
この章で使う既出の用語(定義は各リンク先). アンテナ(01 章 2 節)、波長 \(\lambda\)(02 章 1 節)、dBm・利得 \(G\)・dBi(02 章 5 節)、\(R^4\)・SNR・リンクバジェット(03 章 2〜4 節)、RCS \(\sigma\)・dBsm(04 章 1 節)、歩行者(04 章 2 節)、帯域幅と分解能・窓関数(06 章 3 節, 5 節)、ドップラー・\(v_{\max}\)(07 章 2 節, 7 節)、FFT(07 章 6 節)、チャープの諸元 \(B, T_c, S\)(08 章 2 節)、IF 帯域・リーク(08 章 6 節)、フレーム・\(M, N\)・実/複素サンプリング・ビン(09 章 1〜2 節)、4 つの式(09 章 4 節)、処理利得(09 章 5 節)、角度分解能・MIMO・仮想素子・TDM・DDM(10 章 5〜6 節)、サイドローブ(11 章 1 節)、ADC・LNA(12 章 1 節)、PLL(12 章 5 節)、CFAR・参照セル(13 章 4 節)、干渉の検出・修復(14 章 5 節)、LRR・SRR(16 章 2 節)、温度・規制(16 章 5 節)
1. 設計の流れ — どの式がどの仕様を受け持つか
09 章 4 節の 4 式(\(\Delta R, R_{\max}, \Delta v, v_{\max}\))+アンテナ・リンクバジェットを、要求から逆に引く。 表の式は 09 章・10 章の式をそのまま目的の変数について解き直したものである(たとえば \(v_{\max} = \lambda/(4T_c)\) を \(T_c\) について解けば 2 行目、\(\Delta v = \lambda/(2NT_c)\) を \(N\) について解けば 3 行目)。
| 要求 | 決まるパラメータ | 使う式 |
|---|---|---|
| 距離分解能 \(\Delta R\) | 掃引幅 \(B\) | \(B = c/(2\Delta R)\) |
| 最大速度 \(v_{\max}\) | チャープ周期 \(T_c\) | \(T_c \leq \lambda/(4 v_{\max})\) |
| 速度分解能 \(\Delta v\) | チャープ本数 \(N\) | \(N \geq \lambda/(2 T_c \Delta v)\) |
| 最大距離 \(R_{\max}\) | IF 帯域・ADC | \(f_{IF} = 2 R_{\max} S / c\)(\(S = B/T_c\)) |
| 角度仕様 | アンテナ本数・配置 | \(\Delta\theta \approx \lambda/(K d\cos\theta)\)(\(K\): 仮想素子数、\(d\): 素子間隔、\(\theta\): 目標の方位) |
| 検出距離の成立性 | リンクバジェット | 03 章の式+処理利得 \(10\log MN\)(\(M\): チャープあたりのサンプル数、\(N\): チャープ本数) |
2. ワークスルー — 駐車支援 SRR を設計する
要求仕様(77 GHz、\(\lambda = 3.9\) mm とする):
| 項目 | 値 |
|---|---|
| 最大距離 \(R_{\max}\) | 30 m |
| 距離分解能 \(\Delta R\) | 5 cm |
| 最大相対速度 \(v_{\max}\) | ±20 m/s |
| 速度分解能 \(\Delta v\) | 0.4 m/s |
| 方位視野/分解能 | ±60°/約 10° |
| フレームレート | 20 Hz(50 ms 周期) |
Step 1: 分解能 → 掃引幅 B
77〜81 GHz 帯の中に収まる。合格。
Step 2: 最大速度 → チャープ周期 Tc
余裕をみて \(T_c = 40\) µs とする。スロープは \(S = B/T_c = 75\) MHz/µs——現行の量産チップの上限(おおむね 100 MHz/µs)に近く、きわどい。 (きつければ \(B\) を落とすか \(v_{\max}\) を割り引く。最初の綱引きがもう始まっている。)
Step 3: 速度分解能 → チャープ本数 N
FFT は点数が 2 のべき乗のとき最も効率よく計算できるので、切り上げて \(N = 128 = 2^7\)。フレームの実測時間は \(N T_c = 5.1\) ms——50 ms 周期に余裕で収まる。
Step 4: 最大距離 → IF 帯域と ADC
実サンプリングなら鏡像ぶんを含めて 2 倍必要なので ADC ≥ 30 MSa/s(複素サンプリングなら 15 MSa/s。09 章 2 節)。 ADC のサンプリング周波数を \(f_s\) = 30 MSa/s とすると、チャープあたりサンプル数は \(M = f_s T_c = 30\text{M} \times 40\text{µs} = 1200\) → FFT のために 2 のべき乗の 1024 点に丸める(余りの区間はエコーが届く前の捨てる区間に充てる)。 ここで ADC の上限に当たったら、\(S\) を緩める=\(B\) か \(v_{\max}\) を諦める——これが 09 章の三角関係の実務形である。
Step 5: 角度 → アンテナ
視野 ±60° → 仮想素子(MIMO で作る仮想アンテナ、10 章 6 節)の間隔 \(d = \lambda/2\)(10 章)。 分解能は正面(\(\theta = 0\)、\(\cos\theta = 1\))で評価して、10° ≈ 0.17 rad → \(\Delta\theta = \lambda/(Kd) = 2/K\) より \(K \geq 2/0.17 \approx 12\) 素子 → 3TX × 4RX の MIMO でちょうど賄える(10 章)。角度は仮想 12 素子の角度 FFT(10 章 4 節)で求める。
ただし TDM-MIMO の罰金を忘れない: TX 3 本を順番に使うと同一 TX の繰り返し周期は \(3T_c\) になり、
要求 ±20 m/s を割った。 対策はどれかを選ぶ: \(T_c\) をさらに短く(S がもっと立つ・ADC 増速)/速度の折り返し(8.1 m/s を超えた速度が別の速度に見える曖昧さ)を複数の手がかりからほどくアルゴリズムを載せる/ DDM(全 TX を同時に送り、ドップラー軸で TX を分離する方式、10 章 6 節)等の同時送信方式にする。設計とは、この種の衝突のどこで妥協するかの決断である。
Step 6: リンクバジェットで成立性を確認
03 章の手順で、\(R_{\max}=30\) m・歩行者(σ = 0 dBsm = 1 m²)・\(P_t\) = 10 dBm・G = 20 dBi・NF = 12 dB を入れる。
| 項目 | 値 | 累積 |
|---|---|---|
| 送信電力 \(P_t\) | +10 dBm | +10 dBm |
| 送受アンテナ利得 \(G^2\) | +40 dB | +50 dBm |
| \(\lambda^2\)(\(1.52\times10^{-5}\) m²) | −48.2 dB | +1.8 dBm |
| \(\sigma\) | 0 dBsm | +1.8 dBm |
| \(1/(4\pi)^3\) | −33.0 dB | −31.2 dBm |
| \(1/R^4\)(\(30^4 = 8.1\times10^5\)) | −59.1 dB | −90.3 dBm ← 受信電力 |
| \(kTB\)(B = 15 MHz: −174 + 71.8) | −102.2 dBm | −102.2 dBm |
| NF | +12 dB | −90.2 dBm ← 雑音電力 |
1 チャープの 1 サンプルあたりの SNR は約 0 dB。これに処理利得 \(10\log(1024\times128) = 51\) dB を足して +51 dB—— 検出必要値 13 dB(13 章)に対して 38 dB の余裕。SRR が「電力的には楽勝で、分解能と曖昧さが本丸」の典型である (逆に 250 m LRR では \(R^4\) が 37 dB 余計に効き、電力収支が本丸になる)。
チャープ設計を体験する
Web 版のこの見出しの下には要求仕様のスライダーがあり、動かすと \(B, T_c, S, N, f_{IF}\) と成立性フラグ(スロープ上限や ADC 上限などの各制約を満たすかの ○/×)が連動して再計算される。 「どこかを欲張ると、どこが破綻するか」を体で覚えるのが目的である。
3. 設計の三角関係 — まとめ図
| 欲しいもの | 押すつまみ | 押し出されるもの |
|---|---|---|
| 細かい距離 | \(B\) ↑ | \(S\) ↑ → 同じ ADC で \(R_{\max}\) ↓ |
| 速い目標 | \(T_c\) ↓ | \(S\) ↑(同上)/ \(\Delta v\) 粗く(同じ \(N\) なら) |
| 細かい速度 | \(N T_c\) ↑ | フレーム時間↑・データ量↑ |
| 細かい角度 | 素子数↑ | コスト↑/TDM なら \(v_{\max}\) ↓ |
| 遠く | アンテナ利得↑・積分(\(N\))↑ | 視野↓・フレーム時間↑ |
4. 落とし穴チェックリスト
- ☐ TDM-MIMO の \(v_{\max}\) 低下を織り込んだか(Step 5 の罰金。見落とし筆頭)
- ☐ 距離・速度・角度の折り返し(05 章・07 章・10 章)は要求範囲の外か。折り返した偽目標の弾き方はあるか
- ☐ 近距離の送信リーク・バンパー反射(12 章)が最初の数個の距離ビンを潰す前提で、\(R_{\min}\) 仕様を切ったか
- ☐ 窓関数(FFT 前に掛ける重み)のサイドローブ(06 章・09 章 7 節・11 章)で、強目標の隣の弱目標仕様(例: 車の隣の歩行者)が成立するか
- ☐ CFAR(周囲のセルからしきい値を作る検出法)の種類と参照セル数(13 章)は多目標密度に合っているか
- ☐ 干渉(14 章 5 節)の検出・修復(干渉の乗った区間を除去して補間)・乱数化は入っているか
- ☐ 温度・経年でのスロープずれ、取り付け角ずれの校正手段(16 章)はあるか
- ☐ 法規制の帯域・電力上限(02 章・16 章)に、製造ばらつき込みで収まるか
5. 姉妹シリーズへの接続
| テーマ | 行き先 |
|---|---|
| FFT・窓・サンプリングの基礎 | DSP シリーズ 01 章〜05 章 |
| 検出・推定の確率的な土台 | 統計シリーズ(仮説検定・ベイズ) |
| LNA・PLL・ADC の回路実装 | 組み込み回路シリーズ |
| センサデータを運ぶ組み込みソフト・OTA | FreeRTOS・IoT セキュリティシリーズ |
6. シリーズ全体のまとめ — 1 枚の地図
| 層 | 中身 | 章 |
|---|---|---|
| 物理 | 往復時間・\(R^4\) 則・RCS(\(\sigma\))・ドップラー・位相 | 01〜04, 07 |
| 波形 | パルス・圧縮・チャープ。分解能は帯域、エネルギーは時間 | 05〜08 |
| 処理 | 3 回の FFT(距離・速度・角度)+CFAR+追尾 | 09〜10, 13〜15 |
| ハード | アンテナ開口・雑音・ADC・1 チップ化 | 11〜12, 16 |
| 応用 | 車載・気象・SAR・バイタル——位相はミクロン級変位計 | 16〜17 |
| 設計 | 要求 → \(B, T_c, N, S\) への翻訳と、衝突の妥協点 | 18 |
レーダーとは、「時間・周波数・位相」という 3 つの物差しで空間を測り直す技術である。 数式はその物差しの目盛りにすぎない。目盛りの読み方はもう全部手の中にある。