Chapter 07
ドップラー — 速度は位相の回転として見える
この章のゴール.
ドップラー周波数 \(f_d = 2v/\lambda\) を 2 通りで導出できること。 そして「1 発のパルスでは速度は見えない。パルスからパルスへの位相の回転として見る」という 現代レーダーの速度測定の実像をつかむこと。
この章で使う既出の用語(定義は各リンク先). 信号処理(01 章 2 節)、周波数・波長・位相(02 章 1〜2 節)、歩行者(04 章 2 節)、パルス幅 \(\tau_p\)・PRI・PRF(05 章 1 節)、最大不明確距離 \(R_{\text{ua}}\)(05 章 4 節)、複素数(06 章 2 節)
1. 現象 — 動くものからのエコーは周波数がずれる
救急車のサイレンは、近づくとき高く、遠ざかると低く聞こえる。ドップラー効果である。 レーダーでも同じことが起きるが、音の場合と 1 つ違う: 電波は往復するので、目標が動いた距離の 2 倍だけ電波の道のりが変わる。 「目標が受けるときと送り返すときの 2 回、周波数がずれる」と言っても同じことで、2 節 は前者の見方、3 節 は後者の見方で同じ式を導く。
直感: 波が挟まれて縮む.
近づく目標は、送信波の波面を「追いかけながら」反射する。 目標が波 1 個ぶん進む間に波は前から押し寄せるので、反射波の波面間隔は詰まる——波長が縮む=周波数が上がる。 行き(目標が受けるとき)で 1 回、帰り(目標が送り返すとき)で 1 回、合計 2 回縮む。 1 回ごとの縮みは割合 \(v/c\) 程度で、2 回でおよそ \(2v/c\) の割合だけ縮む(正確な計算は 3 節)。
2. 導出 1 — 位相から(こちらが本筋)
レーダーの信号処理では、エコーを複素数(振幅と位相)として扱う。 位相とは波の周期のどこにいるかを角度で表したもので、ここでは 1 周期を \(2\pi\) rad(=360°)と数える。 波は 1 波長進むごとに位相が 1 周期ぶん、つまり \(2\pi\) だけ進むので、道のり \(d\) を飛んだ電波の位相は送信時から \(2\pi d/\lambda\) だけずれる。 距離 \(R\) を往復した電波は道のり \(2R\) を飛ぶから
(マイナスは「遅れ」の符号。届いた波は送信した波より遅れているので、位相を負の向きに取る。)
目標が速度 \(v\) で動くとし、レーダーに近づく向きを \(v\) の正と決める。時刻 \(t\) の距離は \(R(t) = R_0 - vt\) で、位相は時間とともに回転する:
位相の回転速度(角周波数)を \(2\pi\) で割れば周波数のずれ、すなわちドップラー周波数:
近づく(\(v>0\))と正、遠ざかると負。 係数 2 は往復の 2 である。
3. 導出 2 — 周波数の伸縮から(検算)
送信周波数 \(f_0\)(波長 \(\lambda = c/f_0\))の波を、速度 \(v\) で近づく目標が受ける。
行き. 目標が止まっていれば 1 秒に \(f_0\) 個の波面が通過する。目標が波に向かって \(v\) で進むと、1 秒に \(v\) だけ余分に前進し、その区間に並んでいる \(v/\lambda\) 個の波面を追加で横切る。よって目標が受ける周波数は
帰り. 目標はこの周波数 \(f'\) で送り返しながらレーダーへ近づく。1 周期 \(1/f'\) の間に目標が \(v/f'\) だけ前進するので、送り返される波面の間隔は \(c/f'\) から \(c/f' - v/f' = (c - v)/f'\) に詰まる。レーダーが受ける周波数はその逆数に \(c\) を掛けて
\(v \ll c\) なので \(1/(1 - v/c) = 1 + v/c + (v/c)^2 + \cdots\) と展開し、\((v/c)^2\) 以上を捨てると
同じ式に着地した。
4. 数値の土地勘 — ドップラーは小さい
77 GHz(\(\lambda = 3.9\) mm)での値を並べる。
| 目標の速度 | \(f_d = 2v/\lambda\) |
|---|---|
| 歩行者 1 m/s | 513 Hz |
| 自転車 5 m/s | 2.6 kHz |
| 車 30 m/s(108 km/h) | 15.4 kHz |
搬送波(変調を載せる土台の波。ここでは 77 GHz)に対して、ずれは車でも \(15.4\,\text{kHz}/77\,\text{GHz} = 2\times10^{-7}\)、歩行者では \(7\times10^{-9}\) と、1000 万分の 1 以下である。
だから「周波数計で測る」のは筋が悪い。位相で見る.
77.000000000 GHz と 77.000015400 GHz を直接区別するのは絶望的だが、 送信に使った発振器そのもので受信をミキシング(掛け算して差の周波数を取り出す操作)すれば、 搬送波が消えて \(f_d\) だけが残る。数百 Hz〜数十 kHz——音声帯域の信号だ。 実際、速度取締り機やドップラーセンサの出力をスピーカーにつなぐと「ヒュイーン」と鳴る。
5. 重要な但し書き — 測れるのは視線方向の速度だけ
ドップラーが感じるのは距離 \(R\) の変化率だけである。 目標の速度ベクトル(大きさ \(v\))とレーダーへ向かう向き(視線方向)のなす角を \(\alpha\) とすると、 見えるのはレーダーへ向かう成分(視線方向速度・ラジアル速度)\(v_r = v\cos\alpha\) だけである。 真横に横切る目標(\(\alpha = 90^\circ\))はドップラー 0——速度上は静止物と区別がつかない。
これは欠点であると同時に、追尾(15 章)や角度測定(10 章)と組み合わせて初めて 「本当の速度ベクトル」が得られる、という設計上の前提でもある。
6. 1 発では見えない — パルス間の位相回転で測る
パルス幅 \(\tau_p = 1\) µs の 1 発の中で、4 節 の車(\(f_d = 15.4\) kHz、以下 15 kHz と丸める)の位相はどれだけ回るか。 \(2\pi f_d \tau_p = 2\pi \times 15000 \times 10^{-6} = 0.094\) rad——たった 5.4° である。1 発の中の変化はほぼ検出不能だ。
そこで発想を変える。パルスを PRI = \(T\) 間隔で並べ、同じ目標のエコーの位相をパルス番号順に追う。 1 パルスごとの位相の進みは
\(T = 10\) µs(PRF = 100 kHz)なら \(2\pi \times 15000 \times 10^{-5} = 0.94\) rad、1 パルスあたり 54°——今度は堂々と見える。 パルス番号 \(n\) に対する位相 \(\phi_n = \phi_0 + n\,\Delta\phi\) は等速回転、 つまりサンプリング周波数 PRF でサンプルされた周波数 \(f_d\) の正弦波である。
等間隔にサンプルした数列を「どの周波数の正弦波がどれだけ含まれているか」に分解する計算がフーリエ変換で、 それをサンプル数 \(N\) に対して \(N\log N\) 程度の演算量で行う高速な手順が FFT(Fast Fourier Transform、高速フーリエ変換)である (周波数 \(f\) の成分を取り出すには、各サンプルに「周波数 \(f\) で逆向きに回る位相」を掛けてから全部足す。目標の \(f_d\) に合った \(f\) でだけ位相が揃って大きな和になる)。 位相の列を FFT すれば \(f_d\) が読める——09 章の「ドップラー FFT」の正体を、いま先取りした。
位相の回転から速度を読む
Web 版のこの見出しの下には、エコーの複素数(フェーザ: 振幅を長さ、位相を向きとする矢印として複素数を描いたもの)がパルスごとに回転する様子を見られる動く図がある。 速度を上げていくと回転が速くなり、やがて逆回転に見える——次節の折り返しである。
7. 速度の曖昧さ — 位相は ±180° までしか区別できない
位相の進み \(\Delta\phi\) が \(+190^\circ\) だったとする。これは \(-170^\circ\) と区別がつかない (1 回転引いても同じ位置に来るから)。つまり一意に読めるのは
これを超えた速度は \([-v_{\max}, +v_{\max}]\) の範囲に折り返して現れる。 車輪が逆回転して見える映画のフレームレート現象、そのものである (サンプリング定理・エイリアシング——DSP シリーズ 01 章)。
数値例. 77 GHz、PRF = 10 kHz(\(T\)=100 µs)なら \(v_{\max} = 0.0039 \times 10000/4 = 9.75\) m/s ≈ 35 km/h。 6 節 の車(30 m/s)はこの PRF では位相が 1 パルスあたり 540° 回り、折り返して別の速度に見える。 高速道路の相対速度には全然足りない。\(v_{\max}\) を稼ぐには \(T\) を短く—— FMCW がチャープを数十 µs まで詰める理由の 1 つがこれである(08 章〜09 章)。
8. PRF ジレンマ、再訪
05 章の宿題に答えが出せる。
掛け算すると PRF が消える:
距離の測れる範囲と速度の測れる範囲の積は、波長を選んだ時点で天井が決まっている。 波長を長くすれば天井は上がるが、波長は使ってよい周波数帯の割り当てとアンテナの大きさ・分解能で先に決まってしまう(02 章 2〜3 節)ので、自由には選べない。 PRF はその配分を選ぶつまみでしかない。 両方を欲張るには、PRF の切り替え(05 章)や中国剰余定理的な解決、 あるいは波形自体の工夫が要る——これがレーダー設計の恒常的な悩みである(18 章)。
9. この章のまとめ
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| ドップラー | \(f_d = 2v/\lambda\)。往復だから 2 倍。近づくと正 |
| 導出 | 位相 \(\phi = -4\pi R/\lambda\) の時間微分。または往復 2 回の波の伸縮 |
| 大きさ | 77 GHz で kHz オーダー。ミキシングで取り出せば音声帯域 |
| 視線方向のみ | \(v_r = v\cos\alpha\)。真横の動きは見えない |
| 測り方 | 1 発では無理。パルス間の位相回転 \(\Delta\phi = 4\pi vT/\lambda\) を FFT で読む |
| 曖昧さ | \(v_{\max} = \lambda/(4T)\)。超えると折り返す。\(R_{\text{ua}} \cdot v_{\max} = c\lambda/8\) 一定 |