Chapter 10
角度を測る — 受信位相の差から方位へ
この章のゴール.
「アンテナを 2 本並べると、届く波にわずかな行程差ができ、それが位相差になる」—— この 1 つの幾何から、角度の式・視野・分解能・MIMO までを積み上げること。 距離 FFT・ドップラー FFT(09 章)に続く第 3 の FFT が見えたら勝ちである。
この章で使う既出の用語(定義は各リンク先). アンテナ・信号処理(01 章 2 節)、分解能(01 章 4 節)、波長・位相(02 章 1〜2 節)、エイリアシング(05 章 4 節)、相互相関(06 章 6 節)、FFT・フェーザ(07 章 6 節)、\(v_{\max}\)(07 章 7 節)、ビート・チャープ(08 章 3 節)、RD マップ・距離ビン(09 章 2〜3 節)
1. 問題 — 距離と速度だけでは「どこ」か分からない
RD マップ(09 章)は「30 m 先・10 m/s」までは教えてくれるが、 それが正面なのか右 20° なのかは教えてくれない。 角度の情報はどこに眠っているか——複数のアンテナで受けたときの、受信信号どうしの差である。
2. 原理 — 2 本のアンテナと行程差
受信アンテナを 2 本、間隔 \(d\) で横に並べ、左をアンテナ 1、右をアンテナ 2 と呼ぶ。 目標は十分遠くにあるとする。すると目標からの波は平面波——波面(同じ位相にある点をつないだ面)が互いに平行な平面になっている波——として届く (遠方だから球面の曲がりが無視できる。これを遠方界近似と呼ぶ。図は上から見た断面なので波面は平行な直線として描かれる)。
波の到来方向が正面から右へ角度 \(\theta\) だけずれているとき、 波面は斜めに入射するから、右のアンテナ 2 に先に届き、左のアンテナ 1 には少し遅れて届く。 アンテナ 1 まで波が余分に飛ぶ道のりは、アンテナ間隔 \(d\) を斜辺、波の進行方向に沿った長さを 1 辺とする直角三角形から
直感: 岸に斜めに打ち寄せる波.
海岸に杭を 2 本立てる。波が真正面から来れば 2 本は同時に濡れるが、 斜めから来れば手前の杭が先に濡れる。その時間差は杭の間隔と波の角度で決まる。 時間差に波の速さを掛けたものが行程差 \(\Delta L\) で、レーダーではこの行程差を波長を物差しにして(位相として)測る。
行程差を位相差に換算する。波は 1 波長進むごとに位相が \(2\pi\) 進む(07 章 2 節)ので、アンテナ 1 の受信位相はアンテナ 2 より
位相差を測れば角度が出る:
数値例. 77 GHz(\(\lambda = 3.9\) mm)、\(d = \lambda/2 = 1.95\) mm、目標が 30° の方向にいるとき、 \(\Delta\phi = 2\pi \cdot (1/2) \sin 30^\circ = \pi/2 = 90^\circ\)。十分測れる大きさである。 なお距離差そのものは \(d\sin\theta = 1.95 \times 0.5 \approx 1\) mm——距離測定(帯域 1 GHz なら分解能 15 cm、08 章 4 節)では全く見えない差が、 位相でなら見える。「粗い物差し(ビート)で距離、細かい物差し(位相)で角度と速度」という役割分担である。
位相差から角度を当てる
Web 版のこの見出しの下には動く図がある。目標の方向をスライダーで動かすと、各アンテナに届く波面と受信フェーザ(07 章 6 節)の傾きが連動して変わる。 間隔 \(d\) を広げたときに起きる「折り返し」(次節)も試せる。
3. 視野 — なぜ間隔は λ/2 なのか
曖昧さなしに角度を決められる \(\theta\) の範囲を視野と呼ぶ。 位相差は ±180° までしか区別できない(07 章の速度と同じ理屈)。一意に読める条件は
\(d = \lambda/2\) ならちょうど \(|\sin\theta| \leq 1\)——±90°、正面の半空間ぜんぶが曖昧さなしで見える。 \(d\) を広げると視野が狭まり、視野外の目標が偽の角度に折り返して現れる (距離・速度に続き、角度にもエイリアシングがある。11 章のグレーティングローブと同じ現象である)。
4. 多素子化 — 第 3 の FFT
素子を \(K\) 本、等間隔 \(d\) で一直線に並べたものを等間隔リニアアレイ(ULA: Uniform Linear Array)と呼ぶ。 右端の素子を基準(番号 \(k = 0\))にして左へ \(k = 1, 2, \dots, K-1\) と番号を振ると、角度 \(\theta\) から届く波の位相は基準に対して
——等差数列である。位相が番号 \(k\) に比例して進む複素数列は、\(k\) を「時刻」と読めば 1 サンプルごとに一定角 \(\Delta\phi\) だけ回るフェーザ列、 つまり周波数 \(\Delta\phi/(2\pi)\) [1/サンプル] の正弦波をサンプルしたものと同じ形である。 「時間方向の等速回転を FFT したら速度が出た」(09 章)のと全く同じ形で、 素子方向に FFT すれば角度が出る。これを角度 FFTと呼ぶ。
こうしてデータは「距離 × 速度 × 角度」の 3 次元キューブになり、 FMCW レーダーの信号処理は FFT を 3 回かけるだけという美しい構造に落ちる。
5. 角度分解能 — アレイの長さが決める
隣り合う 2 つの角度を区別できる限界も、FFT の分解能から出る。 素子方向の「周波数」は \(\sin\theta/\lambda\)(1 m あたりの位相の回転数)で、FFT の分解能は観測長の逆数(08 章 4 節の理屈。時間の \(N T_c\) に当たるのが \(K\) 個のサンプルに間隔 \(d\) を掛けた \(K d\) で、端から端までの物理的な長さ \((K-1)d\) より素子 1 本ぶん長く数える)だから
\(\sin\theta\) の小さな変化は \(\Delta(\sin\theta) = \cos\theta \cdot \Delta\theta\)(\(\sin\) の微分)なので、角度の分解能は
正面(\(\theta = 0\))で最も細かく、斜めほど \(\cos\theta\) のぶん粗くなる。\(d = \lambda/2\) なら正面で \(\Delta\theta \approx 2/K\) rad。
| 受信素子数 \(K\) | 角度分解能(正面) |
|---|---|
| 2 | 57° |
| 4 | 29° |
| 8 | 14° |
| 12 | 9.5° |
| 128 | 0.9° |
4 本では 29°——お話にならない粗さである。 100 m 先の 29° は横幅 50 m。隣の車線どころか道路全体が 1 点に潰れる。 素子を増やせばよいが、RX を 1 本増やすたびに受信チェーン(LNA・ミキサ・ADC)が丸ごと 1 系統増える。 チップのピンとコストが爆発する——ここで登場するのが MIMO である。
6. MIMO — 送信を増やして「仮想アンテナ」を作る
MIMO(Multiple-Input Multiple-Output)レーダーは、受信だけでなく送信も複数使う。 鍵になる事実はこれだ:
TX \(m\) から出て RX \(n\) で受かった経路の位相は、 「位置 \(x_{TX,m} + x_{RX,n}\) にある 1 本の仮想アンテナ」で受けたのと同じである。
導出は素直である。2 節 の幾何は受信に限らない。位置 \(x\) にある送信アンテナから遠方の目標(方向 \(\theta\))へ向かう波も、平面波として見れば位置 0 の送信アンテナからの波より道のりが \(x\sin\theta\) だけ違う(波の向きを逆にしただけで同じ直角三角形)。 よって TX \(m\)(位置 \(x_{TX,m}\))から出て目標で反射し RX \(n\)(位置 \(x_{RX,n}\))で受かる往復の道のりは、行きの \(x_{TX,m}\sin\theta\) と帰りの \(x_{RX,n}\sin\theta\) が足し算で効いて、位相は
つまり TX \(M_t\) 本 × RX \(N_r\) 本 = \(M_t N_r\) 本の仮想アレイが手に入る。
具体例——車載ワンチップの定番、3TX・4RX: RX を \(\lambda/2\) 間隔で 4 本(位置 \(0, 0.5\lambda, 1.0\lambda, 1.5\lambda\))、TX を \(2\lambda\) 間隔(=RX の間隔 × RX の本数)で 3 本(位置 \(0, 2\lambda, 4\lambda\))置く。 仮想素子の位置は TX 位置 + RX 位置の全組み合わせで、TX \(0\) から \(0, 0.5, 1.0, 1.5\lambda\)、TX \(2\lambda\) から \(2.0, 2.5, 3.0, 3.5\lambda\)、TX \(4\lambda\) から \(4.0, 4.5, 5.0, 5.5\lambda\)—— \(\lambda/2\) 間隔で12 本、隙間なく一直線に並ぶ。 アンテナ 7 本・受信チェーン 4 系統の物量で、12 素子ぶんの分解能 9.5° が出る。
送信を見分ける仕掛け — 直交送信
仮想アレイが成立するには、受信側で「どの TX から出た波か」を分離できることが必要である。
| 方式 | 仕組み | 代償 |
|---|---|---|
| TDM(時分割) | TX を 1 本ずつ交代で送信。最も簡単で主流 | 同じ TX の観測間隔が \(M_t\) 倍に開く → 最大速度 \(v_{\max} = \lambda/(4T)\) の \(T\) が \(M_t\) 倍になり \(v_{\max}\) が \(1/M_t\) に低下(18 章の落とし穴) |
| DDM(ドップラー分割) | 全 TX を同時に送るが、TX ごとにチャープごとの位相増分を変えておく。受信ではドップラー軸上で TX ごとに別の場所にずれて現れるので分離できる | 速度軸を TX 数で分け合う。目標の速度と位相増分の絡みをほどく処理が要る |
| 符号分割 | 全 TX を同時に送り、チャープごとに TX ごとの ±1 符号列を掛ける。受信で各符号列との相関を取って分離 | 処理が複雑。符号どうしの相互相関の残りが偽目標になる |
06 章で仕込んだ伏線——「相互相関の低い波形は同時送信しても分離できる」——がここで回収される。
7. 仰角と 2 次元アレイ
ここまでの \(\theta\) は水平方向(方位角)の話だが、素子を縦にも並べれば同じ原理で仰角(上下方向の角度)も測れる。 車載では「前方の物体が、路面の継ぎ目か・トラックの下をくぐれる看板か・衝突する壁か」を 仰角で見分けたい需要が強く、近年のセンサは仮想アレイを 2 次元に展開している(16 章のイメージングレーダー)。
8. FFT を超える方法 — 名前だけ地図に
角度 FFT はアレイ長で分解能が頭打ちになる。 より高い分解能を狙う超分解能法(MUSIC、ESPRIT など——受信データの統計構造を使って FFT の限界を超える角度推定を行うアルゴリズム群)が実用されているが、 計算量と信号モデルの仮定(目標数など)への感度が代償になる。 本シリーズでは「FFT の先がある」という地図だけ示して先へ進む。
9. この章のまとめ
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| 原理 | 行程差 \(d\sin\theta\) → 位相差 \(\Delta\phi = 2\pi d\sin\theta/\lambda\) |
| 視野 | \(d = \lambda/2\) で ±90°。広げると角度が折り返す |
| 第 3 の FFT | ULA では位相が等差数列 → 素子方向 FFT で角度。データは 3D キューブに |
| 分解能 | \(\Delta\theta \approx \lambda/(Kd\cos\theta)\)。アレイ全長がすべて |
| MIMO | 仮想素子位置 = TX 位置 + RX 位置。3TX×4RX で 12 素子。TDM は \(v_{\max}\) を削る |
| 拡張 | 縦に並べれば仰角。FFT の先には超分解能法 |