Chapter 14
クラッタと干渉 — 邪魔な反射を消す
この章のゴール.
クラッタ(見たくない反射)がドップラー軸の 0 付近に固まるという性質を武器に、 パルス間の引き算 1 つでそれを消す(MTI)仕組みを、周波数特性の導出込みで理解すること。 あわせて、増え続けるレーダーどうしの干渉の見え方と対策を押さえること。
この章で使う既出の用語(定義は各リンク先). クラッタ(01 章 3 節)、波長(02 章 1 節)、dB(02 章 5 節)、偏波(02 章 6 節)、SN 比(03 章 3 節)、RCS(04 章 1 節)、PRI・PRF(05 章 1 節)、距離の曖昧さ(05 章 4 節)、複素数(06 章 2 節)、ドップラー周波数(07 章 2 節)、\(v_{\max}\)(07 章 7 節)、チャープ・スロープ(08 章 2 節)、IF 帯域(08 章 6 節)、フレーム・RD マップ(09 章 1〜3 節)
1. クラッタ — 「目標以外の全部」
クラッタ(clutter)とは、レーダーにとって興味のない物体からのエコーの総称である。 雑音(12 章)と違って本物の反射であり、しばしば目標よりはるかに強い。
| 種類 | 例 | RCS 感覚 |
|---|---|---|
| 地形クラッタ | 地面、建物、ガードレール、橋桁 | ビームが照らす地面の面積全体が反射源になる(RCS = 単位面積あたりの反射率 × 照射面積)ので巨大(目標より 20〜40 dB 上も普通) |
| 気象クラッタ | 雨、雪、雲 | ビームが通る空間の体積全体に散らばった雨粒が反射源になる(RCS = 単位体積あたりの反射率 × 照射体積)。波長より小さい粒の反射は波長の 4 乗に反比例して強くなるので、周波数が高いほど強い |
| 海面クラッタ | 波 | 風で変動。船舶レーダーの主敵 |
| 車載の静止物 | 路面、マンホール、看板、駐車車両 | 「止まっている本物」。消すべきか残すべきかは用途次第 |
クラッタは雑音のように「下げる」ことができない.
送信を強くすれば目標もクラッタも同じだけ強くなる——目標電力とクラッタ電力の比 SCR(信号対クラッタ比)は、分子も分母も送信電力に比例するので 1 dB も動かない(雑音は送信と無関係なので SN 比だけが改善する)。 クラッタと戦う武器は電力ではなく、目標とクラッタの「性質の違い」だけである。 そして最大の違いが速度——クラッタの大半は止まっている。
2. ドップラー軸で見る — クラッタは 0 に積もる
RD マップ(09 章)でクラッタを眺めると、構図は一目瞭然である。
- 静止クラッタ: \(v = 0\) の列に集中(自車が動く車載では、静止物は「対地速度 −自車速」の既知の列にずれる)
- 雨・葉ずれ: 0 の近傍にわずかな幅を持って分布
- 動く目標: そこから外れた場所に孤立した輝点(電力の大きいセル。マップを明るさで描くと光る点に見える)
つまり「クラッタを消す」は「ドップラー 0 付近を削るハイパスフィルタを速度軸にかける」に翻訳できる。
3. MTI — 引き算 1 回のハイパスフィルタ
FFT で速度軸に展開する前の時代から使われてきた古典が MTI(Moving Target Indication、移動目標指示)——連続する 2 パルスのエコーの引き算である。
パルス間隔を \(T\)(= PRI = 1/PRF)とする。静止物のエコーはパルス間で位相が変わらない(07 章)→ 引けば消える。 動く目標は位相が \(\Delta\phi = 2\pi f_d T\) 回る → 引いても残る。それだけである。
周波数特性を導出する
エコーを複素数で書く。\(j\) は虚数単位(\(j^2 = -1\))で、\(e^{j\theta}\) は大きさ 1・位相 \(\theta\) の複素数を表す(オイラーの公式 \(e^{j\theta} = \cos\theta + j\sin\theta\)。DSP シリーズ 02 章)。 ドップラー周波数 \(f_d\) の目標からの \(n\) 番目のパルスのエコーは、位相が 1 パルスごとに \(2\pi f_d T\) 進むので \(x_n = e^{j2\pi f_d nT}\)。パルス間の引き算は
出力の大きさが入力の何倍になるか(振幅応答)を求める。\(\theta = 2\pi f_d T\) と置き、\(e^{-j\theta/2}\) をくくり出すと
(オイラーの公式より \(e^{j\phi} - e^{-j\phi} = 2j\sin\phi\)。)\(|e^{-j\theta/2}| = |j| = 1\) なので
\(f_d = 0\) で完全に 0(静止クラッタ消滅)、\(f_d = 1/2T\) で最大 2。 「1 パルス前の値」を \(z^{-1}\) と書く記法で表すと、これは離散フィルタ \(H(z) = 1 - z^{-1}\)——本サイトの DSP シリーズ(05 章)で最初に出てくる 1 次差分ハイパスそのものである。 引き算を 2 回重ねる 2 重キャンセラ \((1-z^{-1})^2\)——\((x_n - x_{n-1}) - (x_{n-1} - x_{n-2}) = x_n - 2x_{n-1} + x_{n-2}\) で、連続 3 パルスを使う——にすると、0 付近の谷が広く深くなり、 幅を持つ雨クラッタにも効く。
ブラインドスピード — sin の零点の代償
\(|H| = 2|\sin(\pi f_d T)|\) は \(f_d = 0\) だけでなく \(f_d = k/T = k\cdot\text{PRF}\)(\(k = \pm1, \pm2, \dots\))でも 0 になる。 その速度では、動いているのにパルス間でちょうど 1 回転(またはその整数倍)して静止と見分けがつかない。 ドップラー周波数と速度の関係 \(f_d = 2v/\lambda\)(07 章)を \(v\) について解いて \(f_d = k\cdot\text{PRF}\) を入れると
これをブラインドスピードと呼ぶ。07 章の折り返し速度 \(v_{\max} = \lambda\,\text{PRF}/4\) の親戚で、\(v_{\text{blind}} = 2v_{\max}\) はちょうど折り返し範囲 \([-v_{\max}, v_{\max}]\) の幅に等しい。 つまり「\(v_{\max}\) を超えて折り返した速度が、範囲 1 周ぶんずれてちょうど 0 に重なる点」である。 対策は距離の曖昧さ(05 章)と同じで PRF の切り替え——PRF を変えるとブラインドの位置が動くので、 複数 PRF で交互に見れば取りこぼしを塞げる。
MTI でクラッタを消す
Web 版のこの見出しの下には動く図がある。強い静止クラッタ+弱い移動目標のスペクトルに対して、MTI(1 重・2 重)の on/off と PRF を切り替えられる。 目標がブラインドスピードに乗って消える瞬間が見どころである。
4. MTD — 現代は「FFT がクラッタフィルタ」
ドップラー FFT(09 章)で速度軸に分解してしまえば、 クラッタは自分のビンに勝手に隔離される。0 付近のビンを無視(または別扱い)するだけで、 MTI 相当のことがフィルタバンクとして実現できている。 この方式を古典用語で MTD(Moving Target Detection)と呼ぶ。 FMCW 車載レーダーは、生まれつき MTD 方式である—— 09 章の「速度軸は最強のフィルタ」の正体は、この章の言葉で言えばクラッタ抑圧であった。
車載特有の注意を 1 つ。自車が動いているとき、静止物は消してよい「クラッタ」ではない。 路上の停止車両・落下物は静止しているが衝突対象である。 車載では「静止物ビンを消す」のではなく、自車速で補正した上で静止物マップとして別レーンで処理する。
5. レーダー間干渉 — 増殖する同族との戦い
道路を走るレーダーが増えた結果、他車のレーダー電波が直接受信機に飛び込む問題が現実になった。 互いに同期していない FMCW どうしの干渉は、特徴的な見え方をする。
| 干渉の形 | 条件 | RD マップでの症状 |
|---|---|---|
| 広帯域ノイズ状 | 相手のチャープ(送信周波数の斜め線)が自分のチャープを斜めに横切る(スロープ=掃引速度が違う) | 2 本の線の周波数差は時間とともに変わり、それが IF 帯域内に入っている短い時間だけミキサ出力に強い信号が出る → 短時間の強いパルス状妨害。短いパルスはあらゆる周波数を含むので、FFT 後は全ビンに広がり床全体の持ち上がり(感度低下)になる |
| ゴースト目標 | スロープがほぼ一致し、周波数差がチャープの間ずっと IF 帯域内に留まる | 一定のビート周波数として現れるので、実在しない目標の輝点(まれだが危険) |
対策は多層で講じる。
| 層 | 対策 |
|---|---|
| 波形 | チャープの開始タイミング・スロープ・開始周波数をフレーム(09 章)ごとに擬似ランダムに揺らす(同じ相手と刺し続けない) |
| 検知と修復 | 時間領域で干渉パルスを検出し、その区間を除去・補間してから FFT する |
| 空間・偏波 | ビームを絞る、45° 偏波で対向車と直交させる(02 章) |
| 制度 | 76〜81 GHz の帯域を用途で住み分ける業界慣行・標準化の努力が進行中 |
06 章の伏線がまた回収される: 互いに相関の低い波形は混ざっても分離できる。 将来的には符号化レーダー(PMCW: Phase Modulated Continuous Wave など、位相符号で変調する方式)で、レーダーごとに互いの相関がほぼ 0 になる符号を割り当てる直交化も選択肢になっている。
6. この章のまとめ
| ポイント | 内容 | ||||
|---|---|---|---|---|---|
| クラッタ | 目標以外の本物の反射。電力では勝てず、性質の違い(速度)で分離する | ||||
| 構図 | クラッタはドップラー 0 付近に積もる。消す=速度軸のハイパス | ||||
| MTI | パルス間引き算 \(H(z)=1-z^{-1}\)、$` | H | =2 | \sin(\pi f_d T) | `$。導出 3 行のクラッタフィルタ |
| ブラインドスピード | \(v = k\lambda\text{PRF}/2\) で目標も消える。PRF 切り替えで塞ぐ | ||||
| MTD | ドップラー FFT がフィルタバンク。FMCW は生まれつきこれ。車載は静止物を「消さずに分ける」 | ||||
| 干渉 | 他レーダーのチャープ横切り=床上げ、一致=ゴースト。乱数化・除去補間・偏波・標準化 |