Chapter 03
レーダー方程式 — 探知距離は何で決まるか
この章のゴール.
レーダー方程式を自力で導出できること。 そして「送信電力を 2 倍にしても探知距離は 19 % しか伸びない」を 式から即座に言えるようになること。
この章で使う既出の用語(定義は各リンク先). アンテナ(01 章 2 節)、波長 \(\lambda\)(02 章 1 節)、位相(02 章 2 節)、dB・dBm・dBi(02 章 5 節)
1. 何を求めたいのか
問い: 距離 \(R\) にいる目標からのエコーは、どれだけの電力で戻ってくるか?
答えが分かれば「その電力は雑音(受信機の中で勝手に発生する、目標とは無関係なでたらめな信号。3 節)より大きいか?」を問える。 大きければ見える、小さければ見えない——探知距離とはその境目である。 導出は 5 歩。1 歩ずつ、全部やる。
Step 1: 等方に放射したときの電力密度
送信電力 \(P_t\) [W] を全方向に均等(等方)に放射すると、 距離 \(R\) では半径 \(R\) の球面に薄く塗り広げられている(02 章)。電力密度は
Step 2: アンテナで一方向に集中させる
実際のアンテナは目標の方向へ電波を集中させる。 集中の倍率がアンテナ利得 \(G\) である。02 章の dBi は \(G\) を dB で書いたもので、逆に \(G = 10^{G[\text{dBi}]/10}\) と戻せる(dB から戻した倍率を真数と呼ぶ)。目標位置での電力密度は
利得はエネルギーを増やさない.
懐中電灯のレンズと同じで、全体量は同じまま、一方向に寄せているだけである。 寄せた方向は明るくなり、他の方向は暗くなる。\(G\) 倍とはその集中率のことだ。
Step 3: 目標が電波を受け止めて、散乱し返す
目標は電力密度 \(S_1\) の電波を浴び、その一部を捕まえて撒き散らす。 撒き散らし方は目標の形によって偏るが、レーダーが知りたいのは「自分の方へ戻ってくる分」だけである。 そこで「もし目標が全方向に均等に撒き散らすとしたら、レーダーの方へ実際に戻ってくる強さを説明するのに面積いくらぶんの電力を受け止めたことになるか」 という換算上の面積を \(\sigma\)(シグマ)[m²] と定義する。この定義により、目標が再放射する電力は
と表せる。この \(\sigma\) がレーダー断面積(RCS: Radar Cross Section)で、 「目標がレーダーにとってどれだけ大きく見えるか」を表す。 定義から分かるとおり \(\sigma\) は幾何学的な断面積ではない。平らな金属面は浴びた電波を鏡のように来た方向へ集中して返すので、 実際の大きさより何倍も大きな \(\sigma\) になる。車の \(\sigma\) が正面から見た面積(数 m²)より大きい 10〜100 m² になるのはこのためで、 逆に丸みのある形や電波を吸う材質は面積より小さくなる。目標ごとの値は次の 04 章まるごと使って掘り下げるので、 ここでは「人でおよそ 1 m²、車で 10〜100 m²」とだけ知っておけばよい。
Step 4: 帰り道でもう一度薄まる
\(\sigma\) の定義では目標が全方向に均等に撒き散らすとしたので、再放射 \(P_\sigma\) も送信のときと同じく球面状に広がる。レーダーの位置に戻ってきたときの電力密度は、もう一度 \(4\pi R^2\) で割られて
ここで \(R^4\) が現れた。 行きで \(R^2\)、帰りで \(R^2\)、合わせて 4 乗である。
Step 5: 受信アンテナで掬い取る
戻ってきた電力密度 \(S_2\) のうち、アンテナが掬い取れる量は「アンテナの実効的な面積」で決まる。 これを実効開口面積 \(A_e\) [m²] と呼び、利得と
の関係で結ばれている(この関係の直感的な導出は 11 章でやる。ここでは「利得が大きいアンテナほど広い面積で受け止められる」と読んでほしい)。受信電力は
これがレーダー方程式である(送受で同じアンテナを使う場合。\(G\) が 2 乗なのは行きと帰りで 1 回ずつ使うから)。
2. R⁴ の壁 — この式の主役
| 距離の変化 | エコー電力 | dB で |
|---|---|---|
| 2 倍 | 1/16 | −12 dB |
| 3 倍 | 1/81 | −19 dB |
| 10 倍 | 1/10000 | −40 dB |
通信は 2 乗、レーダーは 4 乗.
携帯電話の電波は片道なので \(1/R^2\) で済む。レーダーは往復+目標での再拡散があるから \(1/R^4\)。 だから探知距離を 2 倍にしたければ、他の条件をまとめて 16 倍(+12 dB)改善しなければならない。 送信電力だけでやろうとすると 16 倍の電力が要る。逆に言うと、 送信電力を 2 倍にしても距離は \(2^{1/4} = 1.19\) 倍——19 % しか伸びない。
3. 「見える」条件 — 雑音と比べる
エコーがどんなに弱くても増幅すればよい、とはならない。増幅器は雑音も一緒に増幅するからだ。 雑音とは、受信機の部品の中で電子が熱で不規則に動くことなどにより勝手に発生する、目標とは無関係なでたらめな信号である。 勝負は受信電力 \(P_r\) と雑音電力 \(N\) の比、SN 比(SNR: Signal-to-Noise Ratio)で決まる。
受信機の雑音電力は、詳しくは 12 章で導出するが、結論だけ先取りすると
| 記号 | 意味 | 典型値 |
|---|---|---|
| \(k\) | ボルツマン定数 | \(1.38\times10^{-23}\) J/K |
| \(T\) | 温度 [K] | 290 K(室温)が慣例 |
| \(B\) | 受信帯域幅 [Hz] | 波形で決まる |
| \(F\) | 雑音指数(NF とも書く)——受信機自身が上乗せする雑音の倍率(12 章)。慣例で dB で言うが、式には真数 \(10^{F[\text{dB}]/10}\) を入れる | マイクロ波で 3〜5 dB(2〜3 倍)、ミリ波 IC では 10〜15 dB(10〜30 倍) |
つまり「探知できる」条件は
必要最小の SN 比 \(\text{SNR}_{\min}\)(検出に必要な値。雑音のたまたま大きな山を目標と誤認する確率と、目標を見落とす確率の両方を許容値以下にするために必要な比で、13 章で決め方を扱う。典型的な許容値ではおおむね 10〜15 dB になる)を境に、 最大探知距離が決まる:
探知距離を見積もる
Web 版のこの見出しの下にはスライダーがあり、送信電力・利得・RCS・帯域・雑音指数を動かして最大探知距離がどう変わるかを見られる。 4 乗根のせいで、どのパラメータをいじっても距離は鈍くしか動かないことを体感してほしい。
4. dB で通しで計算する — リンクバジェット
方程式を dB に直すと、掛け算の列が足し算の表になる。これをリンクバジェット(電力収支表)と呼ぶ。 77 GHz 車載レーダーの現実的な数字でやってみる。表は上半分で信号の電力 \(P_r\) を、下半分で雑音の電力 \(N\) を別々に積み上げ、最後に差を取る。
| 項目 | 値 | 累積 |
|---|---|---|
| 送信電力 \(P_t\) | +10 dBm | +10 dBm |
| 送信アンテナ利得 \(G\) | +25 dBi | +35 dBm |
| 伝搬の損失 \(\lambda^2\sigma/((4\pi)^3R^4)\)(内訳は下) | −158 dB | −123 dBm |
| 受信アンテナ利得 \(G\) | +25 dBi | −98 dBm ← 受信電力 \(P_r\) |
| 雑音の熱的な下限 \(kTB\)(B=10 MHz) | −104 dBm | −104 dBm(ここから雑音側の積み上げ) |
| 雑音指数 \(F\)(ミリ波 IC) | +12 dB | −92 dBm ← 雑音電力 \(N\) |
| SNR(1 回の観測) | \(P_r - N\) | −98 − (−92) = −6 dB |
伝搬の損失 −158 dB の内訳(λ = 3.9 mm、σ = 10 m²、R = 150 m):
| 因子 | 値 | dB |
|---|---|---|
| \(\lambda^2\) | \(1.52\times10^{-5}\) m² | −48.2 |
| \(\sigma\) | 10 m² | +10.0 |
| \(1/(4\pi)^3\) | 1/1984 | −33.0 |
| \(1/R^4\)(行き・帰りの拡散) | \(1/5.06\times10^8\) | −87.0 |
| 合計 | −158.2 ≈ −158 |
雑音側の −104 dBm は、\(kT = 1.38\times10^{-23}\times290 = 4.0\times10^{-21}\) W/Hz(−174 dBm/Hz)に帯域 10 MHz(+70 dB)を掛けたものである。
SNR −6 dB では検出に必要な 10〜15 dB にまったく届かない。このままでは 150 m 先の車は見えない。 どうするか——次の節が答えである。
5. 積分 — 足し合わせて SN 比を稼ぐ
1 回の観測で足りなければ、観測を繰り返して足し合わせる。足し合わせる回数を \(M\) と書く(雑音電力 \(N\) とは別の記号にしておく)。
エコーは毎回同じ目標から同じ距離で返ってくるので、波としての位相(02 章)も毎回同じである。 位相を揃えたまま(コヒーレントに)\(M\) 回足すと、同じ向きの矢印を \(M\) 本つなぐのと同じで、 信号は振幅が \(M\) 倍 → 電力 \(M^2\) 倍。 一方、雑音は観測ごとに符号も位相もでたらめなので、足しても打ち消し合う分があり、平均すると電力が \(M\) 倍にしかならない(でたらめな向きの矢印を \(M\) 本つなぐと、長さは \(M\) 倍ではなく \(\sqrt{M}\) 倍程度にしかならない)。よって
\(M\) 回の積分で SN 比が \(M\) 倍(\(10\log M\) dB)稼げる。 \(M=256\) なら +24 dB——さっきの −6 dB が +18 dB になり、検出に必要な値を超える。
「弱い電波を長く当てて、じっと足す」がレーダーの基本戦略である.
瞬間の電力で殴るのではなく、時間をかけてエネルギーを積む。 FMCW レーダーの 2 次元 FFT(09 章)は、まさにこの積分を FFT という形で実行している。 「チャープ 1 本では雑音に埋もれる目標が、フレーム全体では浮かび上がる」仕組みは全部ここに帰着する。
位相を捨てて電力(振幅の 2 乗)だけを取り出す操作を検波と呼ぶ。検波した後で足す方式(ノンコヒーレント積分)では信号の位相を揃える効果が使えないので、利得は \(M\) 倍より落ちる。 本シリーズの範囲では「コヒーレント積分=FFT で \(M\) 倍」と押さえておけば足りる。
6. 方程式が教えてくれる設計判断
| 変えるもの | 効き方 | 実務の判断 |
|---|---|---|
| 送信電力 \(P_t\) | \(R \propto P_t^{1/4}\) | 法規制の上限あり。すぐ頭打ち |
| アンテナ利得 \(G\) | \(R \propto G^{1/2}\)(2 乗で効くから) | 最も効率が良い。ただしビームが細くなり視野が狭まる(11 章) |
| RCS \(\sigma\) | \(R \propto \sigma^{1/4}\) | 設計者は選べない。小さい目標(歩行者)で成立させるのが仕事 |
| 観測時間(積分数 \(M\)) | \(R \propto M^{1/4}\) | フレームレートとのトレードオフ |
| 雑音指数 \(F\) | \(R \propto F^{-1/4}\) | 初段の低雑音化。1 dB 削るのは大変だが確実に効く(12 章) |
7. この章のまとめ
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| レーダー方程式 | \(P_r = P_t G^2 \lambda^2 \sigma / ((4\pi)^3 R^4)\)。5 歩の導出を再現できるように |
| R⁴ | 行き 2 乗 × 帰り 2 乗。距離 2 倍で −12 dB |
| 見える条件 | \(P_r / (kTBF) \geq \text{SNR}_{\min}\)。雑音との比がすべて |
| リンクバジェット | dB の足し算表。設計の共通言語 |
| 積分 | コヒーレントに \(M\) 回足せば SN 比 \(M\) 倍。FFT は積分器 |