EM Simulation 20 · 実務ワークフロー — 合わないときに、何を疑うか

Chapter 20

実務ワークフロー — 合わないときに、何を疑うか

この章のゴール.

モデル簡略化の判断基準を持つこと。 「シミュレーションと実測が合わない」ときの切り分け手順を、順序立てて実行できるようになること。 そしてこのシリーズ全体を 1 枚の地図にまとめること。

この章で使う既出の用語(定義は各リンク先). FDTD(01 章 5 節)、FEM(01 章 5 節)、MoM(01 章 5 節)、シミュレーション(01 章 3 節)、モデル化誤差(01 章 4 節)、実測(01 章 3 節)、表面(01 章 5 節)、PEC(03 章 4 節)、コモンモード(03 章 5 節)、階段近似(05 章 6 節)、周波数依存(06 章 3 節)、EMC(08 章 6 節)、メッシュ収束(09 章 5 節)、PML(11 章 1 節)、周期境界(11 章 6 節)、周期構造(11 章 6 節)、ディエンベッド(12 章 5 節)、励振(12 章 1 節)、導波ポート(12 章 4 節)、パッシブ性(14 章 4 節)、相反性(14 章 4 節)、利得(15 章 3 節)、指向性(15 章 3 節)、時間領域(16 章 6 節)、共振周波数(17 章 4 節)、周辺部品(17 章 5 節)、整合(17 章 4 節)、筐体(17 章 5 節)、コネクタ(19 章 4 節)

1. ワークフローの全体像

ワークフローの全体像目的を決める何を何 % で手計算初期値と桁モデル化形状・材料・境界粗く解く傾向を掴む収束確認13 章検証別手法・実測段 1 を飛ばすと、すべてが無駄になる「共振周波数を 1 % で」なのか「相対比較ができればよい」のかで、必要なメッシュもコストも桁で変わる目的が精度を決め、精度がコストを決める
最後に文書化を忘れない。半年後の自分と、結果を受け取る人のために「モデルの限界」を必ず書き残す
段やること成果物
1. 目的を決める何を何 % の精度で知りたいのか。判断に使うのは何か評価量の定義
2. 手計算初期値と桁の基準予想値
3. モデル化形状の簡略化、材料設定、境界、ポートモデル
4. 粗く解く傾向を掴む。掃引する感度の理解
5. 収束確認メッシュ・境界・ポートを変えて安定を確認(13 章)信頼できる値
6. 検証別手法・実測・文献と突き合わせる妥当性
7. 文書化モデルの仮定・設定・限界を残す再現性

段 1 を飛ばすと、すべてが無駄になる.

「共振周波数を 1 % の精度で」なのか「相対比較ができればよい」のかで、 必要なメッシュも、モデルの精密さも、計算時間も桁で変わる。 目的が精度を決め、精度がコストを決める。

2. モデル簡略化 — 何を残し、何を捨てるか

CAD をそのまま入れると、まず解けない。簡略化は必須の技術である。

モデル簡略化 — 何を残し、何を捨てるか消してよいλ/20 より小さい特徴場が弱い場所の細部ネジ・面取り・刻印内部の非導電部品残すべき電流経路上の構造電界が集中する場所λ/10 を超える金属ケーブル(19 章)等価モデルに置換厚い導体(表面インピーダンス)薄膜・細線金属メッシュ周期構造迷ったら「両方で解いて差を見る」。差が評価量に影響しなければ捨ててよい「メッシュが切れない」の原因は、ほぼジオメトリにある微小な隙間・重なり・スリバー面・過剰な曲面分割 —— メッシャ設定をいじる前に形状を疑う
機械 CAD から取り込んだ形状には、設計上は無意味な 0.001 mm の隙間が無数にある。前処理の大半はこの掃除である
判断基準
消してよい電気的に \(\lambda/20\) より小さい特徴、場が弱い場所の細部、ネジ・面取り・刻印、内部の非導電部品
残すべき電流経路上の構造、電界が集中する場所(ギャップ、エッジ)、\(\lambda/10\) を超える金属、ケーブル(19 章)
等価モデルに置換厚い導体(表面インピーダンス)、薄膜、細線、金属メッシュ、周期構造(10 章)
迷ったら両方で解いて差を見る。差が評価量に影響しなければ捨ててよい

ジオメトリのクリーンアップ

10 章で触れた通り、これが前処理の主戦場である。

問題対処
微小な隙間・重なり(0.001 mm)公差を指定してヒール(縫合)する
微小面・スリバー(極端に細長い、髭のような面。CAD の演算の副産物として生じる)削除・マージ
面取り・フィレット(角を丸めた小さな曲面)電気的に無関係なら削除
曲面の分割数が多すぎるテセレーション(曲面を多数の平面の三角形で近似すること)の精度を下げる
部品同士が接触していない意図的な接触は明示的に結合する

「メッシュが切れない」の原因は、ほぼジオメトリにある.

メッシャの設定をいじる前に、まず形状を疑う。 多くのソルバに「ジオメトリチェック」機能があるので、必ず走らせる。

3. 実測と合わないとき — 切り分けの順序

これが本章の中心である。 症状から闇雲に触るのではなく、順序を決めて潰す。

実測と合わないとき — 切り分けの順序Step 0. どう違うかを分類する周波数がずれる/レベルが違う/形が違う/ギザギザStep 1. 自分の解析を疑う(内部整合性)メッシュ収束・パッシブ性・境界距離・ポート依存Step 2. モデルを疑う ← 最も可能性が高い材料定数・tanδ・表面粗さ・寸法・構造の欠落・給電Step 3. 測定を疑う校正・基準面・治具・参照インピーダンス・環境Step 4. 数値を疑う(最後)階段近似・高 Q・掃引の補間・手法固有の弱点経験則: 周波数のずれ → 材料か寸法 / レベルのずれ → 損失か校正
Step 4 に来る前に、9 割は Step 2〜3 で解決している。「同じモデルのつもり」を疑うところから始める

Step 0: まず「どう違うか」を分類する

違い方示唆
周波数がずれている(形は似ている)寸法・材料定数・実効誘電率
レベルが違う(形は同じ)損失・効率・校正・基準面
形が違うモデルの構造が違う。何かが欠けている
高域だけ違うメッシュ不足・表面粗さ・帯域外
低域だけ違う境界が近い・計算時間不足・DC 外挿
ギザギザする打ち切り誤差(13 章・16 章)・掃引の補間

Step 1: 自分の解析を疑う(内部整合性)

確認章
メッシュ収束しているか13
パッシブ性・相反性を満たすか13, 14
境界までの距離を変えても結果が変わらないか11
ポートのサイズ・位置を変えても変わらないか12
時間領域なら十分減衰したか13, 16

ここを通っていないなら、実測と比べる資格がない。

Step 2: モデルを疑う(最も可能性が高い)

項目よくある食い違い
材料定数\(\varepsilon_r\) が公称値と違う(FR-4 は 4.2〜4.7 とばらつく)/\(\tan\delta\) を入れ忘れ/周波数依存を無視
導体PEC のまま/導電率が違う/表面粗さ未考慮(18 章)/めっき層の考慮漏れ
寸法エッチング後の実寸(設計値より細い)/基板厚の公差/積層のずれ
構造の欠落コネクタ、ケーブル、筐体、周辺部品、治具、グラウンドの有限サイズ
給電実際の給電構造が違う/ギャップのインダクタンス(12 章)

Step 3: 測定を疑う

項目内容
校正校正面はどこか。校正キットの定義は正しいか
基準面シミュレーションのディエンベッド面と一致しているか(12 章)——位相不一致の筆頭原因
治具・ケーブル治具の影響を差し引いたか。ケーブルのコモンモード電流
参照インピーダンス両者で同じか(14 章)
測定環境反射、近傍の物体、温度

Step 4: 数値を疑う(最後)

手法固有の弱点(06 章の階段近似・高 Q、07 章の掃引補間、08 章の誘電体)に当たっているか。 ここに来る前に、9 割は Step 2〜3 で解決している。

経験則: 「周波数のずれ」は材料か寸法、「レベルのずれ」は損失か校正.

共振周波数が 3 % 低い → \(\varepsilon_r\) が想定より 6 % 高い可能性(\(f \propto 1/\sqrt{\varepsilon_r}\)) 挿入損失が実測より 2 dB 小さい → \(\tan\delta\) か表面粗さの未考慮

この 2 つのパターンだけで、食い違いの相当部分が説明できる。

4. 落とし穴チェックリスト(総まとめ)

モデル

メッシュ(10 章)

境界(11 章)

ポート(12 章)

収束(13 章)

結果の解釈

設計レビュー用チェックリスト

本シリーズで挙げた確認項目を分野ごとに表示する。 チェックを付けながら、自分の解析に抜けがないかを点検できる。

5. 文書化 — 半年後の自分のために

記録すべきもの
モデルのバージョンと形状の由来(どの CAD から、どこを簡略化したか)
材料設定(値の出典。データシートか実測か)
メッシュ設定と収束確認の結果(何を何 % まで確認したか)
境界・ポートの設定
ソルバとバージョン、計算時間、リソース
モデルの限界(何を含めていないか、どこまで信じてよいか)

「モデルの限界」を明記することが最も重要である.

解析結果は往々にして独り歩きし、想定外の用途に使われる。 「このモデルはケーブルを含まないので、放射の絶対値には使えない」 と書いてあれば、誤用は防げる。 数字だけを渡してはいけない。

6. シリーズ全体の地図

シリーズ全体の地図実務簡略化・切り分け・文書化(01・20 章)応用アンテナ・SI・EMC(17〜19 章)結果を読むS パラメータ・遠方界・時間↔周波数(14〜16 章)正しく解かせるメッシュ・境界・ポート・収束(10〜13 章)手法FDTD・FEM・MoM(05〜09 章)離散化差分と基底展開。セル/波長(04 章)物理マクスウェル方程式・材料・境界条件(02・03 章)シミュレータは、与えたモデルの答えしか返さない
下の層ほど普遍で、上の層ほど道具や用途に近い。どのソルバを使っても、下 3 層の話は変わらない
層中身章
物理マクスウェル方程式、材料、境界条件02, 03
離散化差分・基底展開。セル/波長。精度とコストの交換04
手法FDTD(時間・格子)、FEM(周波数・要素)、MoM(表面)05〜09
正しく解かせるメッシュ・境界・ポート・収束10〜13
結果を読むS パラメータ、遠方界、時間↔周波数14〜16
応用アンテナ、SI、EMC17〜19
実務簡略化、切り分け、文書化01, 20

7. 姉妹シリーズへの接続

テーマ行き先
FFT・窓関数・サンプリングDSP シリーズ 01 章〜05 章
伝送線路・特性インピーダンス・EMC の回路的側面組み込み回路シリーズ
アンテナ・開口・レーダー断面積レーダーシリーズ 03〜04, 11, 15 章
数値誤差と収束の統計的な扱い統計シリーズ

8. 最後に — 3 つの原則

① シミュレータは、与えたモデルの答えしか返さない。 「合わない」ときに疑うべきはソルバではなく、ほぼ常にモデルである。

② 収束を確認していない結果は、結果ではない。 どれだけ綺麗なグラフでも、メッシュ依存性を確認していなければ、それは途中経過である。

③ 絶対値より相対比較のほうが信頼できる。 対策あり/なしの差、A 案と B 案の優劣—— モデル化誤差が相殺するこの使い方が、実務で最も価値を生む。

→ シリーズはここで完結。ページ下のナビ、またはトップの目次から各章へ戻れる。