Chapter 08
MoM — 未知数を表面だけにする
この章のゴール.
「空間を刻まず、導体表面だけを刻む」という MoM の発想を理解すること。 積分方程式から行列方程式が出る流れを追えること。 そしてなぜ行列が密になり、なぜ MLFMA が必要になったかを説明できること。
この章で使う既出の用語(定義は各リンク先). FDTD(01 章 5 節)、FEM(01 章 5 節)、MoM(01 章 5 節)、体積(01 章 5 節)、次元(01 章 5 節)、表面(01 章 5 節)、領域(01 章 5 節)、PEC(03 章 4 節)、非線形(03 章 6 節)
1. 発想の転換 — 場ではなく源を未知数にする
FDTD も FEM も、空間そのものを刻んで場の値を未知数にした。 だから金属アンテナ 1 本を解析するにも、その周りの空気を全部メッシュで埋める必要がある。
MoM(Method of Moments、モーメント法)は違う考え方をする。
空気の中で何が起きるかは、マクスウェル方程式の解として既に分かっている。 分からないのは「導体の表面に、どんな電流が流れているか」だけである。
放射・散乱を作っているのは表面電流なのだから、それだけを未知数にすればよい。
| FDTD / FEM | MoM | |
|---|---|---|
| 未知数 | 空間全体の場 | 導体表面の電流 |
| 次元 | 体積(3D) | 表面(2D) |
| 空気のメッシュ | 必要 | 不要 |
| 境界条件 | 吸収境界が必要(11 章) | 不要(無限遠の条件が自動的に入る) |
| 行列 | 疎 | 密 |
「空気をメッシュしなくてよい」「吸収境界が要らない」——これが MoM の 2 大長所である。 アンテナのように「小さい導体が広い空間に浮いている」問題では、未知数の数が桁違いに減る。
2. グリーン関数 — 「点源が作る場」を知っている
MoM が空気を刻まずに済むのは、自由空間のグリーン関数を使うからである。
これは「\(\mathbf{r}'\) に置かれた点源が、\(\mathbf{r}\) に作る場」を表す。
分子の \(e^{-jk|\mathbf{r}-\mathbf{r}'|}\) が位相の遅れ(距離ぶん遅れて届く)、 分母の \(|\mathbf{r}-\mathbf{r}'|\) が距離による減衰(1/R)である。
任意の電流分布が作る場は、点源の寄与を足し合わせるだけで得られる:
(\(\mathbf{A}\) はベクトルポテンシャル。\(\mathbf{E}\) はここから微分で得られる。)
これが「無限遠の境界条件が自動で入る」ことの意味である.
グリーン関数は放射条件(無限遠で外向きに進む波だけがある)を最初から満たしている。 だから MoM の解は自動的に正しい放射場になる。 FDTD/FEM が PML(11 章)で苦労して作り出す条件が、MoM ではただである。
3. 積分方程式 — 未知数が積分の中に入る
導体表面での境界条件(03 章)は、PEC なら「接線電界がゼロ」である:
散乱電界は、上のグリーン関数を通して未知の表面電流 \(\mathbf{J}\) から作られる。 これを代入すると
未知数 \(\mathbf{J}\) が積分の中に入っている——これを積分方程式と呼ぶ。 上の形は電界を使うので EFIE(Electric Field Integral Equation)である。 磁界を使う MFIE、両者を混ぜて内部共振の問題を避ける CFIE もある。
| 積分方程式 | 特徴 |
|---|---|
| EFIE | 開いた面(薄い板、線状アンテナ)にも使える。行列の条件数が悪くなりやすい |
| MFIE | 閉じた面が必要。条件数が良い |
| CFIE | EFIE + MFIE の線形結合。閉じた面での内部共振による偽解を防ぐ。散乱解析の標準 |
4. 行列方程式にする — MoM の名前の由来
積分方程式を数値的に解く。手順は FEM とよく似ている。
Step 1: 未知電流を基底関数で展開する。
平面三角形メッシュ上では RWG 基底関数(Rao–Wilton–Glisson)が標準である。 隣り合う 2 つの三角形にまたがって定義され、共有辺を横切る電流の連続性を保証する。 ——ここでも「未知数は辺に住む」(07 章)。
Step 2: 試験関数を掛けて積分する(モーメントを取る)。
ここで\(\mathcal{L}\{\mathbf{J}\}\)は「電流\(\mathbf{J}\)からそれが作る電界を計算する積分」(上の積分方程式の左辺そのもの)を表す記号、 \(\langle \mathbf{a}, \mathbf{b} \rangle = \int \mathbf{a}\cdot\mathbf{b}\, dS\)は面上での内積である。
この「試験関数との内積を取る」操作が統計でいうモーメントに似ていることから、モーメント法と呼ばれる。
Step 3: 行列方程式が出る。
| 記号 | 意味 | 回路との対応 |
|---|---|---|
| \(Z_{mn}\) | 基底 \(n\) の電流が基底 \(m\) の位置に作る電界の寄与 | 相互インピーダンス行列 |
| \(I_n\) | 各基底の電流係数 | 電流ベクトル |
| \(V_m\) | 入射波(または給電)による起電力 | 電圧ベクトル |
\(\mathbf{Z}\mathbf{I}=\mathbf{V}\) はオームの法則そのものの形をしている。 MoM は「構造全体を巨大な連立回路方程式に翻訳する手法」と読むこともできる。
5. 密行列という代償
FEM の行列は疎だった(基底が局所的だから)。MoM の行列は密である。
なぜか: グリーン関数は距離が離れていてもゼロにならない(1/R でしか減らない)。 つまり「すべての基底が、すべての基底と相互作用する」。
| 項目 | スケーリング | \(N=10^5\) のとき |
|---|---|---|
| メモリ(\(N^2\) 複素数) | \(O(N^2)\) | 約 160 GB(倍精度複素数) |
| 直接解法(LU 分解) | \(O(N^3)\) | 非現実的 |
| 反復解法(1 回の行列ベクトル積) | \(O(N^2)\) | 重い |
未知数が表面だけで少ないという長所を、密行列という短所が食ってしまう。 これが 1990 年代まで MoM の限界だった。
MoM の行列を見る
未知数の数を変えて、密行列のメモリと計算量がどう増えるかを見られる。 MLFMA を有効にしたときのスケーリングの差も比較できる。
6. MLFMA — 遠い相互作用をまとめる
突破口が高速多重極法(FMM)と、その多階層版 MLFMA(Multi-Level Fast Multipole Algorithm)である。
発想: 遠くの基底同士は、1 つ 1 つ相互作用を計算せず、 「グループとグループの相互作用」としてまとめて扱う。
天体力学の \(N\) 体問題で使われる Barnes–Hut 法や FMM と同じ考え方である。
| 段 | 処理 |
|---|---|
| 1 | 構造を階層的な箱(オクトツリー=空間を 8 分割し、それを再帰的に繰り返してできる木構造)に分割する |
| 2 | 近い箱同士: 従来通り 1 対 1 で厳密に計算 |
| 3 | 遠い箱同士: 各箱の電流を「等価な多重極展開」に集約(aggregation)→ 箱間で 1 回だけ変換(translation)→ 受け側で展開(disaggregation) |
計算量とメモリが \(O(N^2)\) から \(O(N\log N)\) に落ちる。 これにより波長の数百倍の大きさの構造——航空機の RCS(レーダー断面積。どれだけレーダーに映るかの指標、15 章)、車両全体の EMC(電磁両立性。他機器に妨害を与えず、また受けない性質、19 章)解析——が現実的になった。
7. 層構造グリーン関数と 2.5D ソルバ
自由空間のグリーン関数の代わりに、層状媒質のグリーン関数を使うと、 基板の誘電体層と接地面をメッシュせずに扱える。
平面回路(マイクロストリップ=誘電体基板の裏面をグラウンドにし、表面に細い導体を引いた伝送線路、パッチアンテナ、フィルタ)では、 メッシュするのは金属パターンだけでよくなる。
これが 2.5D プレーナ・ソルバ(Method of Moments ベースの平面回路ソルバ)である。
| 3D 汎用ソルバ | 2.5D プレーナ・ソルバ | |
|---|---|---|
| 扱える形状 | 任意 | 層構造 + 平面パターン + ビア |
| 未知数 | 体積または全表面 | 金属パターンのみ |
| 速度 | 遅い | 圧倒的に速い(同じ問題で 10〜100 倍) |
| 用途 | 何でも | RF 基板、MMIC(半導体チップ上に作り込んだマイクロ波回路)、パッチアンテナ、フィルタ |
基板上の平面回路を設計するなら、まず 2.5D を試すのが定石である。 3D を使うのは、ワイヤボンド・筐体・厚い立体構造・強い放射が絡むときに限られる。
8. MoM の得手不得手
| 場面 | 適性 |
|---|---|
| 導体主体のアンテナ・散乱体 | ◎ 未知数が表面だけ |
| 開放領域・放射問題 | ◎ 吸収境界が不要 |
| 電気的に非常に大きい構造(RCS) | ◎(MLFMA 併用) |
| 平面回路(2.5D) | ◎ |
| 複雑な不均質誘電体が詰まった構造 | × 体積積分方程式が要り、未知数が体積に戻る |
| 広帯域 | △ 周波数ごとに行列を作り直す(\(Z_{mn}\) が \(k\) 依存) |
| 時間応答・非線形 | × |
9. この章のまとめ
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| 発想 | 場ではなく表面電流を未知数に。空気をメッシュしない |
| グリーン関数 | 点源の作る場。放射条件が自動で入るので吸収境界が不要 |
| 積分方程式 | 未知数が積分の中。EFIE / MFIE / CFIE |
| 行列 | \(\mathbf{Z}\mathbf{I}=\mathbf{V}\)。オームの法則の形。ただし密行列 |
| MLFMA | 遠い相互作用をまとめて \(O(N\log N)\) へ。大規模問題を解放した |
| 2.5D | 層構造グリーン関数で金属パターンだけをメッシュ。平面回路の第一選択 |