EM Simulation 01 · なぜ電磁界シミュレーションが必要か

Chapter 01

なぜ電磁界シミュレーションが必要か

この章のゴール.

「回路シミュレータで足りるのか、電磁界シミュレータが要るのか」を、 波長と構造サイズの比という 1 つの物差しで判断できるようになること。 そしてシミュレーション・手計算・実測の役割分担を、コストと確からしさの言葉で説明できること。

1. 回路図では表せないもの

回路シミュレータ(SPICE)は、部品を集中定数——抵抗 R、容量 C、インダクタンス L という「点」——として扱う。 これは回路の寸法が波長よりずっと小さいときにだけ正しい近似である。

なぜか。集中定数回路の大前提は「電流が回路のどこでも同時に同じ値になる」ことだが、 電気信号は光速の 5〜7 割で伝わるので、遠く離れた 2 点では位相がずれる。 ずれが無視できるのは、構造の長さ \(\ell\) が波長 \(\lambda\) に比べて十分小さいときだけである。

構造の長さ ℓ と波長 λ の比が、使う道具を決めるℓ < λ/20構造位相のずれ < 18°集中定数(SPICE)λ/20 〜 λ/4構造位相が場所で違う分布定数(伝送線路)ℓ > λ/4構造放射・共振・結合3D 電磁界解析判断は「材料中の波長」で行う —— 基板(εr=4.4)では λ が 1/√4.4 = 0.48 倍に縮む1 GHz・FR-4 なら λ = 14 cm、その 1/20 は 7 mm —— これを超える配線は、もう「線」ではない
同じ構造でも周波数が上がれば右へ移動する。デジタルでは立ち上がり時間が実効的な周波数を決める(18 章)
\(\ell/\lambda\)状況使う道具
\(< 1/20\)位相のずれは 18° 未満。集中定数で足りる回路シミュレータ
\(1/20 \sim 1/4\)分布定数(伝送線路)として扱う必要がある伝送線路モデル、2.5D ソルバ
\(> 1/4\)もはや「配線」ではなく構造。放射・共振・結合が主役3D 電磁界シミュレータ

数値で掴む.

1 GHz の自由空間波長は 30 cm、基板(\(\varepsilon_r = 4.4\))の中では \(30/\sqrt{4.4} \approx 14\) cm。 その 1/20 は 7 mm——つまり 1 GHz を扱う基板では、7 mm を超える配線はもう「線」ではない。 デジタルの立ち上がり 100 ps なら実効的な帯域は数 GHz に及ぶので、 数 mm のビアや電源プレーンの切れ目が問題になる。 これが「昔は動いた設計が、いまは動かない」の正体である。

手法の適用範囲を見る

構造サイズと周波数を動かすと、集中定数・伝送線路・3D 電磁界のどの領域に入るかが表示される。 「この基板のこの配線は電磁界解析が要るか」を判断する練習である。

2. 電磁界シミュレータが答えられる問い

電磁界シミュレータが答えられる問いその形にしたら電磁界はどうなるかどこへ、どれだけ放射するか利得・指向性・帯域(15・17 章)どれだけ通り、どれだけ返るかS パラメータ(14 章)どこが結合するかクロストーク・漏れ(18 章)どこが共振するか筐体・プレーン・キャビティどこが強くなるか電流集中・電界の最大点どれだけ遮蔽できるかシールド効果(19 章)共通するのは「作る前に知りたい」——試作の前に形を決めるための道具である
測れないもの(構造の内部の場、電流の流れ方)が見えるのが、実測に対する決定的な優位である
問い例
どこへ、どれだけ放射するかアンテナの利得・指向性・帯域(15 章・17 章)
どれだけ通り、どれだけ返るかS パラメータ、挿入損失、反射(14 章)
どこが結合するか隣接配線へのクロストーク(隣の線に信号が漏れ移る現象)、コネクタの漏れ(18 章)
どこが共振するか筐体共振、電源プレーンの共振、キャビティモード(金属で囲まれた空洞の中に立つ定在波)
どこが強くなるか電流密度の集中、電界強度の最大点(絶縁破壊の予測)
どれだけ遮蔽できるかシールドケースの効果、スリットからの漏れ(19 章)

いずれも共通するのは、「その形にしたら電磁界がどうなるか」を、作る前に知りたいという要求である。

3. シミュレーション・手計算・実測の三角形

シミュレーションは実測の代わりではない。3 つはそれぞれ違う種類の間違え方をするので、互いの検算になる。

手計算・シミュレーション・実測の三角形手計算・近似式桁を決める。初期値シミュレーション任意形状・内部が見える掃引が安い実測現実そのもの中は見えない初期値桁の検算相互検証3 つは違う種類の間違え方をする —— だから互いの検算になる「合わない」ときに疑うべきは、多くの場合ソルバではなくモデルである(20 章)
どれか 1 つだけに頼ると、その手段固有の誤りに気づけない。3 つを回すのが設計の作法である
手段強み弱み間違え方
手計算・近似式一瞬で出る。設計の初期値が作れる。桁の検算になる単純な形状しか扱えない仮定の外で使うと平気で外れる
シミュレーション任意形状。内部の場が見える。パラメータ掃引が安いモデル化した通りにしか答えないメッシュ不足、境界が近い、材料値が違う、簡略化しすぎ
実測現実そのもの試作が要る。時間と金がかかる。中の場は見えない治具・ケーブル・校正の誤差。再現性

「シミュレーションが実測と合わない」の大半は、ソルバが間違っているのではない.

モデルが違うのである。基板の \(\varepsilon_r\) が実際は 4.4 でなく 4.1 だった、 銅箔の表面粗さを入れていなかった、コネクタをモデル化していなかった、治具の影響を引いていなかった—— ソルバは与えられた形状と材料に対して、正しく答えを出している。 20 章の「合わないときの切り分け手順」は、このシリーズで最も実務的な部分である。

4. 何が「正しい答え」を邪魔するか — 全体の見取り図

シミュレーション結果と現実の差は、大きく 4 つの源に分解できる。本シリーズの構成はこの分解に沿っている。

シミュレーションと現実の差 — 4 つの源① 離散化誤差連続の場を有限個の数値にしたことによる誤差② 境界の誤差無限空間を有限の箱で打ち切ったことによる誤差③ モデル化誤差形状の簡略化・材料値・励振のモデル④ 数値・実装の誤差丸め誤差・反復解法の打ち切り・補間計算を増やせば減る(04・10・13 章)計算を増やしても減らない(03・12・20 章)初学者は左ばかり気にするが、実務で足をすくわれるのはほぼ右である
「メッシュを細かくしたのに実測と合わない」——それは右側の問題なので、計算量では解決しない
誤差の源中身扱う章
離散化誤差連続の場を有限個の数値で表したことによる誤差。メッシュを細かくすれば減る04, 06, 10, 13
境界の誤差無限に広い空間を有限の箱で打ち切ったことによる誤差11
モデル化誤差形状の簡略化、材料値の不正確さ、励振のモデル03, 12, 20
数値・実装の誤差丸め誤差、反復解法の打ち切り、補間06, 13

最初の 2 つは「もっと計算すれば減る」誤差で、収束の議論(13 章)で管理できる。 後の 2 つは計算量を増やしても減らない——モデルが違えば、どれだけ精密に解いても違う答えが出る。 初学者は前者ばかり気にするが、実務で足をすくわれるのはほぼ後者である。

5. ソルバの分類 — 地図を先に配る

第 II 部で 1 つずつ扱うが、全体の地図を先に見せておく。

分類軸選択肢
領域時間領域(パルスを入れて時間発展を追う)/周波数領域(1 周波数ずつ定常解を解く)
離散化する対象体積を格子で刻む(FDTD・FEM)/表面だけ刻む(MoM・BEM=境界要素法。MoM のほぼ同義語)
次元3D(完全)/2.5D(層構造に特化。プレーナ回路=基板の面内に配線を引いた平面回路向け)/2D(断面の解析)
代表的な手法領域離散化得意
FDTD(時間領域差分法)時間体積(直交格子)広帯域、大規模、時間応答
FEM(有限要素法)周波数体積(四面体など)複雑形状、共振、狭帯域の高精度
MoM(モーメント法)周波数表面導体主体(アンテナ、大型構造)
FIT(有限積分法)/ TLM(伝送線路行列法)両方体積FDTD の親戚。商用ツールで広く使われる

「どれが一番よいか」という問いには答えがない。 問題の形が手法を決める——それが 09 章である。

6. この章のまとめ

ポイント内容
判断の物差し\(\ell/\lambda\)。1/20 を超えたら分布定数、1/4 を超えたら 3D 電磁界
材料の効果基板中では波長が \(1/\sqrt{\varepsilon_r}\) に縮む。判断はこの短い波長で行う
三角形手計算で桁、シミュレーションで形、実測で現実。互いの検算
誤差の 4 源離散化・境界・モデル化・数値。計算量で減らせるのは前 2 つだけ
手法の地図時間/周波数 × 体積/表面。問題が手法を決める