EM Simulation 03 · 材料と境界条件 — モデルの「入力」を正しくする

Chapter 03

材料と境界条件 — モデルの「入力」を正しくする

この章のゴール.

\(\varepsilon, \mu, \sigma\) が場に何をするかを言えること。 表皮深さを導出でき、「なぜ厚い銅板を薄いシートに置き換えてよいのか」を説明できること。 そして PEC・PMC・対称面という境界条件が、計算量を何分の 1 にする道具であることを理解すること。

この章で使う既出の用語(定義は各リンク先). FDTD(01 章 5 節)、シミュレーション(01 章 3 節)、実測(01 章 3 節)、次元(01 章 5 節)、表面(01 章 5 節)、領域(01 章 5 節)、回転(02 章 2 節)

1. 材料は 3 つの数で決まる

線形・等方・非分散という理想化のもとでは、材料は 3 つの定数で記述できる。

\[ \mathbf{D} = \varepsilon\mathbf{E}, \qquad \mathbf{B} = \mu\mathbf{H}, \qquad \mathbf{J} = \sigma\mathbf{E} \]
材料は 3 つの定数で決まるε(誘電率)電界で分極する度合い→ 波を遅くする→ 容量を増やすμ(透磁率)磁界で磁化する度合い→ 波を遅くする→ インダクタンスを増やすσ(導電率)電界で電流が流れる度合い→ エネルギーを熱に変える→ 電流を流すD = εE, B = μH, J = σE波の速さ v = c/√(εr μr) —— 材料中では波長が縮むFR-4(εr≈4.4)では λ が 0.48 倍。メッシュはこの短い波長で決める
非分散・等方・線形という理想化のもとでの話。現実には周波数依存・異方性・非線形がある
定数名前物理効果
\(\varepsilon = \varepsilon_0\varepsilon_r\)誘電率電界で分極する度合い波を遅くする(\(v = c/\sqrt{\varepsilon_r}\))、容量を増やす
\(\mu = \mu_0\mu_r\)透磁率磁界で磁化する度合い波を遅くする、インダクタンスを増やす
\(\sigma\)導電率電界で電流が流れる度合いエネルギーを熱に変える(損失)、電流を流す
材料\(\varepsilon_r\)\(\sigma\) [S/m]
真空・空気1.00
テフロン(PTFE)2.1ほぼ 0
FR-4(一般的なガラスエポキシ基板)4.2〜4.6ほぼ 0(\(\tan\delta\) で表す)
アルミナ9.8ほぼ 0
水(常温、低周波)約 800.005〜5(不純物次第)
銅—\(5.8\times10^7\)

2. 損失の 2 つの入り口 — 導電損と誘電損

損失には電流が流れて熱になるものと、分極が振動に追随できずに熱になるものがある。 周波数領域では、両方を複素誘電率にまとめてしまえる。

アンペール・マクスウェルの式(02 章)の右辺を見る:

\[ \nabla\times\mathbf{H} = \sigma\mathbf{E} + j\omega\varepsilon\mathbf{E} = j\omega\left(\varepsilon - j\frac{\sigma}{\omega}\right)\mathbf{E} \equiv j\omega\,\varepsilon_{\text{complex}}\,\mathbf{E} \]

つまり導電率は誘電率の虚部として振る舞う。そこで一括して

\[ \varepsilon_{\text{complex}} = \varepsilon' - j\varepsilon'' \]

と書き、比を損失正接(誘電正接)と呼ぶ:

\[ \tan\delta = \frac{\varepsilon''}{\varepsilon'} \]
材料\(\tan\delta\)(目安、GHz 帯)
PTFE・低損失基板0.001〜0.002
FR-40.02(基板の損失の主犯)
一般的な樹脂0.005〜0.03

FR-4 の \(\tan\delta = 0.02\) が意味すること.

数 GHz を超えると、FR-4 の誘電損は導体損と同等かそれ以上になる。 「高速基板に低損失材料を使う」のは、\(\varepsilon_r\) を下げたいからではなく(それもあるが)、 \(\tan\delta\) を 1 桁下げたいからである。 シミュレーションで挿入損失が実測より小さく出るときは、 まず \(\tan\delta\) を入れ忘れていないかを疑う(20 章)。

材料定数が周波数によって変わることを分散と呼ぶ。 FR-4 の \(\varepsilon_r\) は 1 GHz で 4.4、10 GHz で 4.2 のように動く。 周波数領域ソルバは各周波数の値を使うだけなので分散に強く、時間領域ソルバは畳み込みが要るので面倒—— 02 章の表で述べた通りである。

損失 — 導電損も誘電損も複素誘電率にまとめる∇×H = σE + jωεE導電損と変位電流= jω(ε − jσ/ω)E導電率は誘電率の虚部になるtanδ = ε″ / ε′(損失正接)材料ごとの tanδ(GHz 帯の目安)PTFE・低損失材0.001〜0.002FR-40.02(基板損失の主犯)一般的な樹脂0.005〜0.03
数 GHz を超えると誘電損が導体損に匹敵する。挿入損失が実測より小さいなら、まず tanδ の入れ忘れを疑う

3. 表皮効果 — 導体の中に入れる深さ

良導体(\(\sigma \gg \omega\varepsilon\))の中では、波は指数的に減衰する。その深さを導出する。

良導体中では変位電流が伝導電流に比べて無視でき、02 章の 2 式は

\[ \nabla\times\mathbf{E} = -j\omega\mu\mathbf{H}, \qquad \nabla\times\mathbf{H} \approx \sigma\mathbf{E} \]

02 章と同じ手順で回転を 2 回取ると

\[ \nabla^2\mathbf{E} = j\omega\mu\sigma\,\mathbf{E} \]

1 次元(導体表面から深さ \(z\) 方向)に落として \(E \propto e^{-\gamma z}\) と置くと \(\gamma^2 = j\omega\mu\sigma\)。 \(\sqrt{j} = (1+j)/\sqrt{2}\) を使って

\[ \gamma = (1+j)\sqrt{\frac{\omega\mu\sigma}{2}} \equiv \frac{1+j}{\delta}, \qquad \boxed{\ \delta = \sqrt{\frac{2}{\omega\mu\sigma}} = \frac{1}{\sqrt{\pi f\mu\sigma}}\ } \]

この \(\delta\) が表皮深さである。振幅が \(1/e\)(約 37 %)に落ちる深さで、\(\sqrt{f}\) に反比例して薄くなる。

表皮効果 — 導体の中に電流が入れる深さ導体の断面表面δ(1/e に落ちる深さ)深さ →δ = 1/√(π f μ σ)√f に反比例して薄くなる銅の表皮深さ1 MHz66 µm1 GHz2.1 µm10 GHz0.66 µm1 GHz で電流が流れる層は 2 µm —— メッシュで刻むのは非現実的だから「表面インピーダンス境界」で内部を解かずに済ませる(導体厚 ≫ δ が条件)
低周波や薄膜では δ が厚さと同程度になり、この近似は使えない。そこは実体をメッシュする
周波数銅の表皮深さ
50 Hz9.3 mm
1 MHz66 µm
100 MHz6.6 µm
1 GHz2.1 µm
10 GHz0.66 µm

これがシミュレーションの実務に直結する.

1 GHz で銅に電流が流れる層は 2 µm しかない。 35 µm 厚の銅箔をメッシュで刻もうとすると、 表皮深さを解像するには 1 µm 未満のセルが要り、基板全体では計算が破綻する。

だからソルバは表面インピーダンス境界条件を用意している—— 導体の内部を解くのをやめて、表面に「\(Z_s = (1+j)/(\sigma\delta)\) のシートがある」という条件を課す。 厚い導体は、メッシュを切らずに表面だけで済ませるのが定石である。 ただしこの近似は導体厚 \(\gg \delta\) が前提で、薄い金属膜や低周波では成り立たない。そこは実体をメッシュする。

材料と表皮深さを見る

周波数・導電率・比誘電率を動かして、材料中の波長と表皮深さがどう変わるかを見られる。 「1 GHz の銅で 2 µm」という数字が体感できると、表面インピーダンス境界が要る理由が腑に落ちる。

4. 境界条件 — 場は境界で何を守るか

積分形(02 章)を境界を跨ぐ微小ループ・微小円柱に適用すると、境界での接続条件が出る。

境界条件 — 場は境界で何を守るか媒質 1(ε₁, μ₁)媒質 2(ε₂, μ₂)法線接線境界で連続な成分E の接線成分連続H の接線成分連続(表面電流がなければ)D の法線成分連続(表面電荷がなければ)B の法線成分常に連続覚え方: 接線は E と H、法線は D と BPEC: E の接線 = 0(金属の近似・電気的対称面) / PMC: H の接線 = 0(磁気的対称面)PEC は損失をゼロにするので、Q 値や効率の評価には使えない
積分形(02 章)を境界を跨ぐ微小ループ・微小円柱に適用すると、これらの条件が出る
量境界での振る舞い
\(\mathbf{E}\) の接線成分連続(表面電流がなければ)
\(\mathbf{H}\) の接線成分連続(表面電流がなければ)/表面電流があればその分だけ跳ぶ
\(\mathbf{D}\) の法線成分連続(表面電荷がなければ)
\(\mathbf{B}\) の法線成分常に連続

覚え方: 接線は E と H、法線は D と B が連続。

PEC と PMC

計算を劇的に楽にする 2 つの理想境界がある。

境界意味条件使いどころ
PEC(完全電気導体)導電率が無限大の金属\(\mathbf{E}_{\text{接線}} = 0\)金属板・グラウンド面の近似。電気的対称面
PMC(完全磁気導体)現実には存在しない仮想的な材料\(\mathbf{H}_{\text{接線}} = 0\)磁気的対称面。人工磁気導体の理想化

PEC は「便利な嘘」である.

現実の銅は \(\sigma = 5.8\times10^7\) であって無限大ではない。PEC で置き換えると導体損がゼロになる。 アンテナの放射パターンや共振周波数を見るには十分だが、 Q 値・挿入損失・効率を評価したいなら PEC は使ってはいけない——損失が主役の量だからである。 「まず PEC で形を決め、最後に実材料に置き換えて損失を見る」が実務的な進め方になる。

5. 対称面 — 計算量を 1/2、1/4、1/8 にする

構造と励振の両方が対称なら、対称面で切って半分だけ解けばよい。メモリも時間も半分になる。

対称面の種類条件電界の向き
電気壁(PEC 対称)\(\mathbf{E}_{\text{接線}}=0\)電界が面に垂直
磁気壁(PMC 対称)\(\mathbf{H}_{\text{接線}}=0\)電界が面に平行

3 面すべてで対称なら計算量は 1/8——FDTD なら時間も 1/8 になる。使わない手はない。

ただし対称性は「構造」と「励振」の両方に要る.

対称なアンテナでも、給電を片側だけにすると励振が非対称になり、対称面は使えない。 また対称面を使うと、その面に対して非対称なモードは原理的に解けなくなる。 差動線路の解析でコモンモード(2 本の線に同じ向きに流れる電流の成分。19 章)が見たいのに磁気壁を置いてしまう、といった失敗が典型である。 「見たい現象がその対称性を持っているか」を必ず確認する。

6. 異方性・分散性・非線形 — 現実の材料

種類中身例
異方性方向によって \(\varepsilon\) が違う(テンソルになる)基板の面内と厚さ方向で \(\varepsilon_r\) が違う(実際の FR-4 はこれ)
分散性周波数によって \(\varepsilon(\omega)\) が変わる生体組織、プラズマ、金属の光学領域(Drude/Debye/Lorentz モデル)
非線形場の強さで材料定数が変わる強電界、フェライト、非線形光学
ジャイロトロピック磁化されたフェライト(磁性をもつ酸化物のセラミック)。行きと帰りで振る舞いが違う(非相反)サーキュレータ(入った電力を決まった順の次のポートへだけ回す素子)、アイソレータ(一方向にだけ通す素子)

非相反素子(サーキュレータなど)を含む系では、S 行列の相反性(14 章)が成り立たない—— 検算のルールが変わるので注意する。

7. この章のまとめ

ポイント内容
3 つの定数\(\varepsilon\)(遅くする)、\(\mu\)(遅くする)、\(\sigma\)(熱にする)
損失導電損も誘電損も複素誘電率に統合できる。\(\tan\delta\)。FR-4 は 0.02
表皮深さ\(\delta = 1/\sqrt{\pi f\mu\sigma}\)。1 GHz の銅で 2 µm → 表面インピーダンス境界で回避
境界条件接線は E・H、法線は D・B が連続
PEC/PMC便利な理想化。ただし PEC は損失を消すので、Q・効率の評価には使えない
対称面1/2・1/4・1/8。構造と励振の両方が対称であることが条件