Chapter 01
基板アートワークとは何か — 回路図が語らないことを決める仕事
この章のゴール.
「回路図が同じなら、どう配線しても同じ回路である」——これが間違いであることを、 理由まで説明できるようになること。 そして、回路図から製造データまでの工程の地図を頭に入れること。
1. 回路図は「つながり」しか語らない
回路図(回路の接続を記号で書いた図)が持っている情報は、突き詰めると 1 つだけである。
どの部品のどの端子が、どの端子と電気的につながっているか。
この「つながりの一覧」をネットリストと呼ぶ。 ネット(net)とは、電気的に 1 つにつながった導体のかたまりのことで、 「U1 の 3 番ピンと R5 の 1 番ピンと C2 の 1 番ピンが同じネット」というように記述される。
ネットリストには、形の情報が一切ない。
| 回路図が決めていること | 回路図が決めていないこと |
|---|---|
| 何と何がつながるか | それがどこを通るか |
| 部品の値(10 kΩ、100 nF) | 部品の物理的な大きさと位置 |
| 部品の種類 | 配線の長さ・幅・層 |
| — | 導体どうしの距離 |
| — | 電流の帰り道の形 |
基板アートワーク(PCB layout。PCB=Printed Circuit Board、プリント基板)とは、 このネットリストに形を与える作業である。 どの部品をどこに置き、どの導体をどの層のどこに通し、どれだけの幅と間隔にするか—— それを、実際に製造できて、実装できて、意図した性能が出るように決める。
2. 形が性能を決める — 寄生成分という言葉
「つながってさえいれば同じはずだ」という直感は、直流に近い低い周波数でだけ正しい。 実際の導体は、抵抗・インダクタンス・容量を必ず持つ。 回路図に描かれていないのに実在するこれらの成分を、寄生成分(parasitics)と呼ぶ。
そして決定的なのは、寄生成分の値は、導体の形だけで決まるということである。
| 寄生成分 | 何で決まるか | 目安 |
|---|---|---|
| 配線の抵抗 | 長さ / (幅 × 厚さ) と銅の抵抗率 | 35 µm 厚・幅 0.2 mm で約 2.4 mΩ/mm |
| 配線のインダクタンス | 電流の行きと帰りが囲む面積 | 細い線で約 0.6〜1 nH/mm |
| 導体間の容量 | 向かい合う面積 / 距離 | 隣り合う配線で 0.03〜0.1 pF/mm |
同じ回路図から、動く基板と動かない基板が生まれる.
100 MHz のクロックを扱う回路で、配線を 30 mm 遠回りさせたとする。 追加されるインダクタンスは約 25 nH。これは 100 MHz で \(2\pi f L = 2\pi \times 10^8 \times 25\times10^{-9} \approx 16\ \Omega\) のインピーダンスになる。 回路図には存在しない 16 Ω が、勝手に直列に入る。
デカップリングコンデンサ(電源の揺れを吸わせるコンデンサ、14 章)を IC から 20 mm 離して置いたら、コンデンサの容量がいくら大きくても、 経路のインダクタンスが効いて高い周波数では何の役にも立たない。 部品表は同じ、回路図も同じ、それでも動かない。
これがアートワークという工程が独立して存在する理由である。 回路設計が「何を使うか」を決める仕事なら、アートワークは「それをどう置くか」を決める仕事で、 高速・大電流・微小信号・高温——どれか 1 つでも絡んだ瞬間に、後者のほうが結果を支配する。
3. 工程の全体像
回路図を受け取ってから、基板が実装されて出てくるまでの流れを、先に地図として見せておく。
| 段 | やること | 主に決まるもの | 本シリーズの章 |
|---|---|---|---|
| 1 | 要件の確認 | 外形寸法、層数、コスト、量、規制 | 01, 23 |
| 2 | 部品選定とフットプリント準備 | 各部品の実装用パターン | 06 |
| 3 | 層構成(スタックアップ)の決定 | 層の並び、厚み、インピーダンスの素地 | 05 |
| 4 | 部品配置 | 性能の 8 割。配線の難易度もここで決まる | 07 |
| 5 | グラウンドと電源の設計 | リターン電流の道 | 08, 14 |
| 6 | 配線(ルーティング)——導体の経路を引く作業 | 線幅、間隔、層、ビア | 09〜16 |
| 7 | ベタ(面として広がった銅)とスティッチング(面どうしをビアで縫うこと) | 熱・シールド・リターン | 13 |
| 8 | 検証(DRC=設計ルールの自動検査 / DFM=製造しやすさの検査 / レビュー) | 作れるか、動くか | 04, 20, 24 |
| 9 | 出図 | ガーバー(層ごとのパターンを表す標準形式)、ドリル、BOM(部品表)、実装データ | 22 |
| 10 | 製造・実装 | 現実との答え合わせ | 03, 21 |
後戻りが最も高くつくのは 4(配置)である.
配線が終わってから「やっぱりこの IC を 90° 回したい」となると、 その IC につながる配線が全部やり直しになる。 配置で悩む時間は、配線で取り返せる。逆はできない。 経験のある設計者ほど、配置に時間をかけて、配線はあっさり終わる。
4. 誰と何を決めるか
アートワークは 1 人で完結しない。関係者と、確認すべき事項を挙げておく。
| 相手 | 決めること | 見落とすと |
|---|---|---|
| 回路設計者 | どのネットが速い/敏感/大電流か、どこが熱いか | 全部を同じ重みで配線して、どれも中途半端になる |
| 機構設計者 | 外形、穴位置、部品の高さ制限、コネクタ位置 | 筐体に入らない。ケーブルが届かない |
| 基板メーカ | 最小線幅・間隔、板厚、層構成の実現性、納期 | 「その仕様は作れません」で数日失う |
| 実装業者 | 部品の向き、間隔、テストポイント(検査の針を当てる露出パッド)、基準マーク | 実装できない、または不良率が上がる |
| 品質・認証 | 沿面距離、絶縁、規格適合 | 認証で落ちる。作り直し |
「制約は先に全部集める」が鉄則である.
配線を 8 割終えたところで「コネクタは反対側でした」と言われたら、 数日の仕事が消える。紙 1 枚の確認で防げたはずのものである。 経験を積むほど、着手前の質問リストが長くなる。
回路図から製造データまでを追う
各工程で何が決まり、どのファイルが生まれるかを順に確認できる。 「基板を作る」という行為が、どれだけ多くの決定の積み重ねかを掴んでほしい。
5. 単位について — mil と mm
基板の世界では、mil(ミル)という単位が今も広く使われる。
| よく出る値 | mil | mm |
|---|---|---|
| 標準的な最小線幅・間隔 | 5 mil | 0.127 mm |
| 高精度クラスの線幅・間隔 | 3 mil | 0.0762 mm |
| 一般的な部品ピッチ(0.5 mm ピッチ IC) | 19.7 mil | 0.5 mm |
| 標準的な板厚 | 62 mil | 1.6 mm |
| 標準的な銅箔厚(1 oz) | 1.4 mil | 35 µm |
なぜ 1.6 mm が標準なのか——元をたどれば 1/16 インチ(=62.5 mil ≈ 1.5875 mm)である。 部品のピッチが 2.54 mm(100 mil)だったのも同じ理由で、 基板の世界にはインチ由来の数字が化石のように残っている。
本シリーズでは mm を主に使い、業界で mil が慣用の場面では併記する。 なお本文の数値は代表値であり、実際の値は基板メーカと材料メーカの仕様が正である (20 章・23 章で確認の仕方を扱う)。
6. この章のまとめ
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| 回路図が語ること | ネットリスト(つながり)だけ。形の情報はゼロ |
| アートワークの仕事 | ネットリストに形を与える。作れて、実装できて、動く形に |
| なぜ性能が変わるか | 寄生成分(R・L・C)は導体の形だけで決まるから |
| 最も高くつく後戻り | 部品配置。配置に時間をかけ、配線は素直に終わらせる |
| 単位 | mil = 0.0254 mm。1.6 mm 板厚も 2.54 mm ピッチもインチ由来 |