Chapter 06
伝達関数・極と零点・安定性
この章で「差分方程式 → 伝達関数 → 極零点 → 周波数特性と安定性」という IIR 解析の一本道を通す。
この章の位置づけ: ここまでの道具が 1 本につながる. 05 章までで道具は揃った。この章はそれを使って、フィルタを「地図の上の点」として見る方法を手に入れる。
どういうことか。フィルタは普通、\(y[n] = 0.5x[n] + 0.9y[n-1]\)のような数式として与えられる。 これを見て「どんな音になるフィルタか」を言い当てるのは難しい。 ところがこの章の手順を踏むと、フィルタが複素平面上に打たれた数個の点(極と零点)に姿を変える。 そして——
- 点の位置を見るだけで、どの周波数が持ち上がりどこが削られるか(音色)が分かる
- 点が円の内側にあるかどうかを見るだけで、そのフィルタが安全か暴走するかが分かる
数式とにらめっこする作業が、地図上の点の配置を眺める作業に変わる。これがこの章の収穫である。
1. 差分方程式 — デジタルフィルタの実体
実装可能なデジタルフィルタは、次の線形定係数差分方程式で書ける:
(「差分方程式」という名前に構える必要はない。要は「今の出力を、今と過去の値から計算する漸化式」のこと。 数学の数列でやった\(a_{n+1} = 2a_n + 1\)と同じ種類のもので、それが信号処理版になっただけである。 そして実は、これがそのまま実装コードになる——プログラムでは 1 行の代入文として書ける。)
- 第 1 項: 現在と過去の入力の重み付き和(フィードフォワード)
- 第 2 項: 過去の出力の重み付き和(フィードバック)← これがあるのが IIR
直感: 「今の出力 = 入力の混ぜ合わせ + 自分の過去の出力の混ぜ合わせ」。 フィードバック項があると、入力が止まった後も出力が自分自身を材料にして鳴り続けられる。 これが「無限インパルス応答」の源泉。
標準形として、すべてを左辺・右辺に整理した形も使う(\(a_0 = 1\)と正規化):
2. 伝達関数の導出
なぜ Z 変換するのか. 差分方程式には\(y[n-1]\)や\(x[n-2]\)といった「ずれた項」が混ざっていて、 このままでは「入力と出力の関係」を一言で言い表せない。 ところが 05 章で見たとおり、Z 領域では「1 サンプルの遅れ」が単なる\(z^{-1}\)の掛け算になる。 つまり Z 変換すると、遅延だらけの厄介な式がただの多項式の掛け算に化ける。 そうなれば「出力 ÷ 入力」という割り算が普通にでき、フィルタの性質が 1 つの分数で表せるようになる。 その分数が伝達関数である。
差分方程式の両辺を Z 変換する。線形性と時間シフトの性質(05 章で導出済み:\(x[n-k] \leftrightarrow z^{-k}X(z)\))より:
\(Y(z), X(z)\)はそれぞれ和の外に括り出せる:
よって伝達関数\(H(z) \equiv Y(z)/X(z)\)は:
一方、05 章の畳み込み定理より\(Y(z) = H(z)X(z)\)で、\(H(z)\)はインパルス応答\(h[n]\)の Z 変換でもある。 つまり:
差分方程式の係数\(\{a_k, b_k\}\)(実装コード)と、伝達関数\(H(z)\)(数学的解析)と、 インパルス応答\(h[n]\)(時間波形)は、同じフィルタの 3 つの顔である。
3. 極と零点
分子・分母は\(z^{-1}\)の多項式なので、因数分解できる。分子分母に\(z^{\max(M,N)}\)を掛けて\(z\)の多項式にしてから因数分解すると:
- \(q_i\): 零点 (zero) —\(H(z) = 0\)になる点。分子多項式の根。
- \(p_i\): 極 (pole) —\(H(z) = \infty\)になる点。分母多項式の根。
名前の由来と、覚え方. 「零点」は文字どおりゼロになる点。分子がゼロになるので、そこで伝達関数の値が 0 に落ちる。 「極」は極端に大きくなる点(英語の pole は「柱」)。分母がゼロになるので値が無限大に吹き飛ぶ。
なぜこの 2 種類が主役かというと、分数は分子と分母だけで決まるから。 分子の根(零点)と分母の根(極)さえ全部分かれば、定数倍を除いて伝達関数は完全に決まってしまう。 つまり極と零点の一覧表 = フィルタの設計図である。以降ずっとこの見方で進む。
係数\(\{a_k, b_k\}\)が実数なら、極・零点は実数か、複素共役対で現れる (実係数多項式の根の性質:\(P(p) = 0\)の両辺の共役をとると\(\overline{P(p)} = P(\bar p) = 0\))。
直感: ゴム膜のたとえ
\(|H(z)|\)を\(z\)平面上の高さと見なすと:
- 極 = テントの支柱。その点で高さが無限大に突き上がる。
- 零点 = 地面に打ったペグ。その点で高さが 0 に釘付けされる。
周波数特性\(|H(e^{j\omega})|\)は、このゴム膜を単位円に沿って一周切り取った断面の高さ。 極の近くを通れば山(ゲイン大)、零点の近くを通れば谷(ゲイン小)ができる。

4. 周波数特性の図形的解釈(導出)
\(z = e^{j\omega}\)を因数分解形に代入して絶対値をとる:
(\(|z^{N-M}| = |e^{j\omega}|^{N-M} = 1\)なので消える。絶対値は積・商に分配される:\(|AB| = |A||B|\)。)
ここで\(|e^{j\omega} - q_i|\)は、単位円上の点\(e^{j\omega}\)から零点\(q_i\)までのユークリッド距離である (複素数の差の絶対値 = 2 点間距離)。よって:
同様に偏角について\(\angle(AB/C) = \angle A + \angle B - \angle C\)より:
直感
単位円上を歩く点\(e^{j\omega}\)を想像する(\(\omega\): 0 → π)。
- 極に近づくと分母の距離が小さくなり、ゲインが跳ね上がる(共振ピーク)。
- 零点に近づくと分子の距離が小さくなり、ゲインが落ち込む(ノッチ)。
- 極を単位円ギリギリ内側に置くほどピークは鋭くなる(= Q が高くなる)。
フィルタ設計とは、通過させたい周波数の近くに極を、消したい周波数の上に零点を配置するゲームである。
5. 安定性の定理と導出(この章のクライマックス)
定理
因果的 LTI システムが BIBO 安定 ⟺ すべての極が単位円の内側(\(|p_i| < 1\))にある。
導出
準備: 因果的で有理伝達関数を持つシステムのインパルス応答は、部分分数展開(05 章)により
の形になる(まず単根の場合を考える。\(M \geq N\)の場合に現れる\(\delta[n-k]\)型の有限項は有限和なので安定性に影響しない)。
(⇐)すべての\(|p_i| < 1\)⇒ 安定:
03 章の安定条件\(\sum_n |h[n]| < \infty\)を確認する。三角不等式より:
(等比級数は\(|p_i| < 1\)で収束。有限個の有限値の和は有限。)∎
(⇒)ある極\(|p_1| \geq 1\)⇒ 不安定:
対偶を示す。\(|p_1| \geq 1\)の極があるとする(\(A_1 \neq 0\)、簡単のため\(|p_1|\)が最大の極で他の極と大きさが異なるとする)。 このとき\(n \to \infty\)で
\(|p_i / p_1| < 1\)より括弧内の和の項は 0 に収束するので、十分大きい\(n\)で括弧内は\(|A_1|/2\)以上。よって
\(h[n]\)が 0 に収束しないので\(\sum |h[n]|\)は発散。BIBO 安定でない。∎
重根の場合: 重複度\(m\)の極には\(n^{m-1} p^n u[n]\)型の項が現れる(05 章の z 領域微分から導かれる)。 \(|p| < 1\)なら、任意の多項式次数に対して指数減衰が勝つ: \(\sum_n n^{m-1} |p|^n\)は例えばダランベールの判定法で、隣接項比
より収束。よって結論は変わらない。∎
直感
- 各極\(p_i\)は「\(p_i^n\)という余韻」を生む。\(|p_i|\)は 1 サンプルごとの減衰率。
- \(|p_i| < 1\): 余韻はだんだん小さくなる(安定)
- \(|p_i| = 1\): 余韻が永遠に減らない(発振器。境界)
- \(|p_i| > 1\): 余韻が毎サンプル成長する(発散 = スピーカーが「ピー!」と暴走)
- 零点は安定性に無関係。零点はどこにあってもよい(分子は出力を作る材料の混ぜ方であり、フィードバックしないから)。
- FIR は分母が 1(極は原点のみ)なので常に安定。IIR だけが安定性の検査を要求される。
6. 例: 2 次共振器で全部つなげる
極の導出: 分母\(= 0\)とおき、\(z^2\)を掛けて\(z^2 - 2r\cos\theta z + r^2 = 0\)。解の公式:
極は\(p = re^{j\theta}\)とその共役。すなわち半径\(r\)、角度\(\pm\theta\)の共役対。
対応する差分方程式(伝達関数の定義を逆にたどる):
インパルス応答: 05 章末尾の結果より\(h[n] \propto r^n \cos(\theta n + \phi)\)型の減衰振動。
周波数特性: 単位円上の点が角度\(\theta\)付近を通るとき極までの距離が最小 (\(\approx 1-r\)) になり、 ゲインは約\(\frac{1}{1-r}\)倍に跳ね上がる。→ 中心周波数\(\omega = \theta\)、鋭さ\(r\)で決まるバンドパス(共振)特性。
これで「係数 2 個の再帰式」「共役極の位置」「減衰振動の余韻」「共振ピーク」が全部同じものの別名だと分かる。
